(1946~1995)
VP-23は、第二次大戦後間もない1946年5月にメイン州東海岸のNAS ブランズ・ウィックで、B-24爆撃機から改造されたプライベーター哨戒機を受領して、気象観測飛行隊として発足した。その後任務が対潜哨戒に重きが置かれ1948年に第23哨戒飛行隊として改名されている。1953年にはP2V-5ネプチューン哨戒機に機種更新し、スペインのタラゴナ州の空軍基地へ派遣され、第二次大戦後初めてのスペイン軍との正式交流を実施し、1954年5月カリブ海のバハマでP2V-5 1機が墜落して搭乗員全員が死亡すると言う事故があったが、部隊は北はグリーンランドから南のカリブ海周辺まで、幅広く任務を熟している。1969年11月にP-3B オライオンに機種転換を始め、1970年6月までに全機の更新を終え、その間シチリア島のシゴネーラ基地に常駐し、地中海でのソビエト潜水艦の活動を監視、この作戦中に延37隻を探知追跡している。1974年にはスペインのロタ海軍航空基地に派遣されて、キプロス紛争での避難民の救助に一役買っていたが、1978年4月にはP-3B(LJ-4/Bu.No.152724)が墜落事故を起こし7名を失うと言う事故があった。。1978年最新のP-3C Update-Ⅱに機種更新し、1979年7月 海軍哨戒部隊として初めてハープーン対艦ミサイルを発射した事が記録されている。1980年1月には、イランのアメリカ大使館占拠事件で、インド洋のディエゴガルシアにハープーン搭載のP-3C 3機が派遣されている。1990年の湾岸戦争ではサウジアラビアへの派遣で海域哨戒の役目を果たすなどしたが、1995年に部隊は解散した。
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↑ P-3B時代は、青いチップラインと青い電光に鷹(遠くから見ると鴈に見える)と言うマーキングであった。電光の無い時代もあったようだが、C型になって下の写真の様なデザインが採用され、一般的に知られるようになった。この機体は、VP-23で使われた後、ノルウェイ空軍に移管され、最後はアルゼンチン空軍に売却された。
↑ 撮影年代 場所共に不明であるが、VP-23のP-3B/Bu.No.160769で、1979年P-3Cが配備された頃の写真のようである。部隊ニックネームはシーホークスであるが、同隊がP-3Bを運用していた頃のマーキングは全く異なっている。
Wings