(1943~1995)
VP-24も第二次大戦中の1943年にハワイのカネオヘで編成された哨戒部隊で、リべレーダー爆撃機を改造したPB4Y-1を配備されていた事から、対潜任務と言うより洋上哨戒/艦船爆撃任務が主体であったはずだ。訓練終了後ガダルカナルのヘンダーソン飛行場に移動して、日本軍の補給路の偵察、カダルカナル島への日本海軍のドラム缶輸送などへの攻撃任務を行っていた。大戦中は太平洋方面での活動が主であったが、終戦後 同隊は東海岸に移動してノースカロライナ州NASイーデントン等複数基地をベースに対潜訓練と兵器のテストなどを実施した。VP-24は哨戒機部隊の中で初めてASM-N-2A 空対地ミサイル”バット”を運用した事から、飛行隊ニックネームに”Bats”が付けられたようである。
 1954年VP-24は、P2V-5ネプチューンを受領、AUM-N-2ペイトレル誘導滑空ミサイルを唯一東海岸で運用できる哨戒部隊となった(西海岸はVP-17)。そして1962年のキューバ危機の際には、キューバに近づく全ての共産圏の艦船の監視と阻止、ソ連が中距離ミサイルの撤収後の地上撮影等を行っている。1967年にP-3Bを取得し。本拠地をNASパタクセントリバーに移している。P-3Cは1970年3月に機種変更を完了し、アメリカ海軍で3番目のP-3C運用部隊となっている。
 1972年VP-24は、フロリダ州のジャクソンビルに本拠地を移動し、第11哨戒航空団の傘下に入った。その後アイスランドのケフラビックへの派遣やキューバ難民の救助活動などをしていたが、1990年の冷戦終了後 海軍の大幅な削減計画により1995年解散となった。
↑ 1970年代後期に入ってデザインを変え、蝙蝠の背景に満月を入れたデザインとなった。尾翼の先端も満月の黄色で塗られ、機番が書かれている。VP-24の機首の機番(Modex)は、一貫して小型であった。P-3C/LR-3/Bu.No.157312
↑ VP-24に新品のP-3Cが配備され始めた頃のマ-キングで、蝙蝠の絵柄は2種類存在したが、上のイラストの右(小さい)方がより初期のデザインと思われる。どちらも蝙蝠の周辺に星を置いているが、4つもあれば6つの機体も存在する。P-3C/LR-8/Bu.No.157322
Wings
↑ バブルウィンドーの下に貼られたインシグニアのバットウーマンは、左右側面共に機首側に頭を向けており2種類作っていた事が判るが、尾翼の蝙蝠も時代によって、右に傾いた物もあって(上のイラスト参照)これも2種類存在したようである。
↑ 上2枚の写真は何れも1979年10月にフロリダ州のジャクソンビル海軍航空基地で撮影されたVP-24のP-3C。VP-24は、1970年にBu.No.157000番台の新規生産分を受領しているが、上の機体はお恐らく機体の入替が行われた後の写真で、158934/158935共に1977年末期から1978に掛けてVP-49から移管された機体である。この後これらの機体はアップデートⅢにバージョンアップされた。
HOME