アメリカ海軍機のロービジビリティ化(低視認塗装化)は、戦闘機であれば、1970年代末期から既に始まっていたが、対潜哨戒部隊は基本的に友軍機の支配下にある海域での行動が主体だった為、ロービジは1985年以降に徐々に進められたようである。但し、いざロービジ導入が開始されるとP-3/S-3のロービジ塗装は徹底されて、所属部隊の識別でさえできなくなった。但し、こうした暗い時代に突入する前の1980年代初期の嘉手納基地は、ローテーションされるVP部隊も大西洋方面のPATRONまで含まれるようになり、予備役部隊も来るようになるなど多種多彩なP-3を見れる一時的な栄華の時機があったのだ。1980年から就職して転勤も多くなった私は、この栄華の時代にP-3を撮ることは殆どできなくなっていた。VP-26も1980年以降 何度か嘉手納基地に駐留して活動しているが、1985年の様子を神戸在住のWhite Bearさんが送ってくれたので、本項でご紹介したい。(2025年3月 記)
VP-26は、1995年1月にUpdate-Ⅲに更新している。
P-3C/LK-6/Bu.No.161006
P-3C/LK-5/Bu.No.161005
P-3C/LK-2/Bu.No.161012
↑ オライオン対潜哨戒機生産500号機に当たるP-3C/Bu.No.161011で、前頁イラストの機体でもある。機首にはオリオン座の星座とP-3を使用している各国の国旗が書かれ、本機が500号機である表示が示された。国旗は上段左より米国、オーストラリア、日本、ノルウェー、下段イラン、カナダ、スペイン、ニュージーランドの順である。日本の海自はこの2年前の1983年に厚木基地で最初のP-3C 6機で第6飛行隊を新編していたが、最終的には100機を超えるヘビーユーザーとなる。
↑ White Bearさんが、1985年5月の連休を利用して嘉手納に行かれた際に撮影された嘉手納基地海軍エリアに駐機するVP-26のP-3C群。恐らく安保の丘からの撮影と思われるが、1970年代には全く想像もできなかった大西洋方面哨戒部隊VP-26の嘉手納基地でのラインナップ(列線風景)である。White Bearさんに依れば、この時嘉手納基地にはP-3C/Bu.No.161005~161013まで9機のVP-26所属機が展開していたそうである。
↑ White Bearさんから白黒写真も頂いたが、私は白黒写真に強く郷愁を感じるので、この2枚の写真はとても好きである。また背景に写り込んでいる民間会社のF-86Fや海兵隊のRF-4B/OA-4Mなど情報量も多い写真である。
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↑ 本来このP-3C/161011は隊長機であった為、機首番号は”1”を掲げていたが、スペシャルマーキングを機首に入れた事から、右側面には部隊番号と同じ”26”が付けられている。
2007年5月13日 厚木基地で撮影されたVP-26のP-3C 往年のマーキングの面影を残している機体で こうしたのが撮れれば嬉しいものだ。
2007年12月 この飛行隊は、イラクフリーダム エンドゥーリングフレーダム作戦のサポートとして活躍している。Bu.No.161006
VP-26は1966年のP-3Bを受け取ってP-3Bの初の実戦部隊となった飛行隊、予備役に編入されたのは後になってからである。
P-3C/LK-3/Bu.No.161013