VP-26の起源は、1943年にB-24爆撃機を海軍向けに改造したPB4Y-1の配備を受けて創設された海軍爆撃隊VB-114だそうだ。大西洋にまで進出していたドイツ軍のUボートを駆逐さる為、夜間浮上してディーゼルエンジンでバッテリーに充電している潜水艦に対し、サーチライトで探出し爆撃する奇襲戦法である。恐らく彼らのインシグニアは、此処を上手く表現しているのだ。大戦中はUボートの行き来が多いジブラルタル海峡での潜水艦狩りの為に、フランス領モロッコなどの基地に常駐して活動している。戦後VP-26と名前を変えた飛行隊は、バルト海でソ連潜水艦を追う事になるが、VP-26所属機がソ連国境付近でソ連の軍用機から銃撃を受け機体は墜落、乗務員は全員死亡したとか、ソ連の収容所送りになったとかで行方不明な状況。
1955年にVP-26は、P2V-7ネプチューン哨戒機へ機種更新し、グリーンランドなど相変わらずヨーロッパの北側での任務が主流で、哨戒飛行隊として初めて北極点上空を飛行した記録を残している。VP-26は、1965年10月から新型のP-3B哨戒機への転換訓練を始め、P-3Bを配備された最初の哨戒飛行隊となっている。ベトナム戦争中は、タイのウタパオに分遣隊を出して活動、この戦争で2機のP-3B(Bu.No.153440/153445)を事故と被撃墜で失っている。部隊は、1979年にP-3Cに更新し、1980年春に沖縄の嘉手納基地に派遣されて、同時に分遣隊をインド洋のディエゴガルシアに置いて活動している。この辺から日本の航空ファンの前にも姿を現すようになるが、ご覧のように20世紀までにVP-26は、多くの実戦参加と犠牲を出しながら歴史を刻んできた部隊である。
↑ 1981年P-3 オライオン哨戒機の生産500号機として記念塗装が施されたVP-26のLK-1
↑ 500号機のP-3C/Bu.No.161011は、17年経過した1998年時点でもVP-26のスキッパーであった。