VP-30
VP-30は冷戦中に大幅に拡充された対潜哨戒任部隊の教育部門として1960年にNASジャクソンビルで創設された。同飛行隊は海軍哨戒部隊が運用する5種類の哨戒機と、士官を含め約300名の人員でスタートしている。普段は教育部隊であるが、キューバ危機の様な国家的危機発生の際は、第一線部隊に即復帰できる準実戦部隊でもある。1964年からはP-3Bを教育機材として導入、原潜スコーピオンの沈没事故の際は救難活動にも参加している。
 1969年からは最新のP-3Cを受領して、パイロットや乗員だけでなく、P-3の整備要員の教育も担当するようになった。またアメリカ国内だけでなく海外のP-3運用国の要員教育や初めての女性クルーの誕生にも貢献し、1972年には無事故100000時間のマイルストーンを記録している。
 1982年以降 P-3A/BをVP-31に移管して、VP-30はC型とその発展型(UpdateⅡ/Ⅲ)の要員教育に集中することとなり、1983年には人員700名と24機のP-3Cを運用する大きな組織に成長した。そして1993年モフェットフィールド海軍航空基地の教育飛行隊VP-31が解散すると、VP-30は海軍唯一の哨戒機の訓練飛行隊となっている。
↑ 1970年代中期VP-30の尾翼のマーキングは赤い電光であったが、後に下の写真のように潜水艦のシルエットが付けクワられている。しかし、スキッパー機だけは親鳥が子供に捉えた潜水艦を餌として与えるユニークな絵柄が書かれていた、P-3C/LL-30/Bu.No.156511
↑ 1985年5月に撮影されたVP-30のP-3C/Bu.No.161411
↑ 1979年11月フロリダ州ジャクソンビル海軍航空基地で撮影されたVP-30のP-3C/Bu.No.160293
↑ 初期生産のP-3Aは、最初に教育訓練部隊のVP-30に送られ、此処で要員の教育が行われた。P-3A/LL-24/Bu.No.151370
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Wings
↑ 1975年9月にモフェット海軍航空基地で撮影されたVP-30のP-3A。恐らく渡辺師匠自ら撮影されたものである。この1975年中期にA型を所有していたという事は、VP-30が幅広くA~C型を配備して、古い型にも対応した教育システムを整えていたと言う事だ。尾翼の赤い電光には潜水艦のシルエットが追加されている。但し VP-30は、A/B型を手放して、C型以降の教育に集中することとなった。