1962年にアメリカ西海岸ノースアイランドで創設されたP-3オライオン哨戒機の訓練専門部隊の一つである。創設時の部隊ニックネームは”Genies”、ジンとはアラビア世界における魔人とか妖怪を指し、アラジンと魔法のランプに出てくる魔人が代表的イメージである。VP-31はこの部隊名を1971年まで使用していたので、機体にランプが書かれていた。1972年以降 ブラック・ライトニングス(黒い電光)に変えている。1982年にアメリカ東海岸を担当するVP-30がC型の教育に特化する為に、A/B型の教育に重点を置くようになったが、太平洋方面の哨戒部隊のC型配備が進むと、C型の先進型も導入して教育を行っていた。海外の哨戒要員の教育にも力を入れ、革命前のイラン海軍のP-3要員の教育もここで行われたそうである。部隊は1993年に部隊本拠地であったモフェット・フィールド海軍航空基地の閉鎖に伴い閉隊した。(2025年3月 記)
↑ カルフォフニア州モフェット海軍航空基地でP-3を撮影し続けたマニアのサイトで披露された異色のマーキング。撮影時期とビューアルナンバーは不明ながら、尾翼から胴体に伸びる2種のHFアンテナラインから、C型である事は判るのみ。同隊で魔法のランプが大書された唯一のP-3である。
↑ VP-31使用のP-3の中で最も有名な機体がこのP-3A/Bu.No.150511で、尾翼に白帯があった時代、唯一アラジンの魔法のランプを機体に残していた。1976年にはランプは無くなるが、その後の黒い電光マーキングでもModex31を維持して、スキッパー機を務めた。
↑ 上2枚の写真は共に1975年8月にカルフォルニア州モフェット海軍航空基地で撮影されたVP-31のP-3C/Bu.No.157327/156514の2機。下の156514はその後EP-3Eに改造され、VQ-1に所属したので嘉手納基地にも度々飛来していた。二つ上の写真のRP-28と背景を見ると同じスチュエーションである事から、モフェット基地におけるVP-31の駐機場所はある程度決まった配置になっていたようである。1982年にVP-30がP-3Cの教育に特化するようになった際は、一時これらC型を手放してA/B型の教育に特化することとなった。
↑ 撮影場所や撮影期日が不明であるが、恐らく1971年頃撮られたと推測されるVP-31のP-3A/Bu.No.151382。後にTP-3Aに改造された機体。
↑ 1960年末に大塚譲氏が厚木基地で撮影されたVP-31のP-3A/Bu.No.152719。本機はB型からEP-3Jに改造された2機のオライオンの1機で、”J”はジャマーを意味するらしく、機体に様々なシュミレーションが行える装置を追加していたそうである。
↑ 厚木基地R/W19に着陸するVP-31のスキッパー機P-3A/Bu.No.150511。インデックスは1977年としたが、私が撮影を始めた1976年から数度目にしており、恐らく数か月に1度の割合で飛来していたものと思われる。機首にはペンギンのマークが貼られており、南極の基地に行ったようである。
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↑ 1975年4月にカルフォルニア州モフェット海軍航空基地で撮影されたVP-31のP-3A/Bu.No.152720。本機は1982年ハワイのカウアイ島南西のマカウェリー河(Makaweli
River)付近で墜落して失われている。同隊では3機目の墜落事故となった。
↑ 神戸市在住のWhite Bearさんが1970年1月に伊丹空港で撮影されたVP-31のRP-12/Bu.No.150511。この機体は1972年にはテールコードに白い帯が付けられ(イラスト参照↑)、1976年にはModexを”31”に変更した。本機はその後VP-3Aに改造されて、海軍高級幹部の移動手段となり厚木基地にも時折飛来していた。