P-3A/YD-6/Bu.No.151384
↑ この機体は、後にUP-3Aに改造され、海洋調査に使われたあの有名な”ARCTIC FOX”になる。
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部隊番号が若いのでお分かりと思うが、第4哨戒飛行隊(VP-4)も古い歴史を持つ部隊である。起源はVB-144という部隊で、1943年7月にアラメダ海軍航空基地にてPV-1ベンチュラ哨戒爆撃機の配備を受けて創設されている。1944年1月にハワイ経由で日本軍が玉砕したタラワ島のホーキンス飛行場に移動して、そこから日本軍の拠点や輸送部隊の襲撃を担当していたようである。戦後はワシントン州のウィドビーアイランド等を拠点に活動し、1956年にはNAF那覇に移駐するなど、朝鮮戦争を契機に対中国等を意識した作戦にも従事している。1964年ハワイのバーバースポイントに戻った時に彼らの部隊マスコットは、ハワイ古来のブラックグリフィンだったそうで、このマークが地元将校クラブのウェートレスから「痩せた龍みたい・・・・」との評判で、部隊名が正式にスキニードラゴンになったとされる。VF-143の逸話に似ている。
1966年VP-4は、ハワイの哨戒部隊で最初にSP-2HネプチューンからP-3Aオライオンに機種変更し、その後ベトナムではマーケットタイム作戦で、北ベトナムからの補給に使われたトロール船の監視と攻撃任務などの成果を上げ海軍功労部隊章を授与されている。また1980年には優れた部隊運営に対し海軍”E"賞も授与された。そして1984年ハワイのバーバースポイント海軍航空基地で最初にP-3Cに機種転換した部隊ともなった。(2025年2月 記)
↑ White Bearさんに依れば、この1971年の三軍記念日は人も少なくエプロン内の規制も殆どなかったので、自由に撮影が楽しめたそうである。実に羨ましい・・・!!!
P-3Bの機首に注目してみると、安全飛行記録に送られるセーフティアワードの”S”の他、戦績に応じた海軍褒章がある事が判る。
↑ この時代にVP-4で使われていたP-3Bの多くは、翌年以降他の飛行隊に移動し機体が入れ替わった。1976年に残っていたのはBu.No.153433など一部である。
↑ この機体も後に軍から民間へ払い下げされて消防用の航空機P-3A "Aerostar"(N924AU)として活躍したが、1991年10月にサンタバーバラを離陸してモンタナの山岳地帯の消火活動中に墜落して失われた。2名が亡くなっている。
P-3A/YD-7/Bu.No.151359
P-3B/YD-10/Bu.No.153421
P-3B/YD-7/Bu.No.153422
P-3B/YD-5/Bu.No.153426
↑ 1971年の岩国基地三軍記念日でのP-3Bの列線の様子。この時代は岩国にもP-3部隊が常駐していた。注目すべきは尾翼のマーキングである。
P-3A/YD-1/Bu.No.152187
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↑VP-4初期のマーキングは、4つ又の槍のようなデザインのものが、赤く塗られた尾翼のチップに書かれていた。また、Modexも尾翼に数字を入れるなど、異色のマーキングで興味深い。VP-4のインシグニアが機首に貼られている。P-3A/VP-4/Bu.No.151394
↑White Bearさんの写真に基づいて作成した1971年時点のVP-4のマーキング。尾翼のチップは伝統の赤であるが、これ以降のマーキングには踏襲されていない。
尾翼のインシグニアの下地はライトブルー、枠はイエローのようである。P-3B/YD-7/Bu.No.153422
↑ こうしてカラー写真が残っている事は、当時の色合いを知る上で重要な資料となる。インシグニアの背景の青色、そして部隊リボンが黄色い事など1970年後半のマーキングとの違いが良く判る写真である。この機体も1971年暮にVP-1に移動している。
P-3B/YD-11/Bu.No.153418
P-3A/YD-9/Bu.No.150608
↑ 神戸のWhite Bearさんから送って頂いた1960年代の厚木基地でのVP-4。A型時代初期の4又の槍先を尾翼に描いている貴重な記録だ。この機体は、翌1969年にVP-17へ移動している。
P-3B/YD-2/Bu.No.153433
↑ 神戸のベテランマニアでおられるWhite Bearさんが送ってくれた一連の写真を見て驚愕した。VP-4の1970年代後半に現れたインシグニアを尾翼に貼り付けたマーキングが、B型を受領した1970年代の初めに、既に存在していた事である。色合いや大きさに多少の違いはあるが、この写真のものが初代のマーキングであったのだ。
↑ 1969年頃厚木基地にも飛来していたVP-4のP-3Aの新塗装、尾翼の龍は赤い縁の円の中で口を開けている。中々カラー写真がSNSでも見つからず、イラスト化できなかったが、漸くカラー写真を見つけ再現したもの。初期の塗装と国籍マーク周辺の塗り方が違う。