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1976年は、アメリカ建国200周年の年に当たる。多くの軍用機に記念塗装が施されていた。丁度この頃から厚木基地で軍用機の写真を撮り始めた私にとって、P-3オライオンもジェット戦闘機に劣らず、魅力的な被写体だった。太平洋方面で活動するレギュラーユニットだけで11個飛行隊もあり、それに予備役飛行隊も偶に厚木基地には飛来し、各飛行隊は尾翼を美しいマーキングで飾って我々を楽しませてくれた。こうした事から私はこの世界に嵌り込んでいくことになる。このページは丁度その時代のものである。
Tailmark of VP-4 (1976)
↑ 1982年三沢基地を離陸するVP-4のP-3B/YD-4/Bu.No.153444。バーバースポイントの虹のマークが無くなって、尾翼のチップに番号が入った。
↑ 上写真は1979年10月にカルフォルニア州モフェット海軍航空基地で撮影されたVP-4のP-3B/YD-9/Bu.No.154574。
↑ 1976年厚木基地のR/W19に向かってタキシーするVP-4のP-3B。私が初めて撮影した機体だ。左翼パイロンに懸架している装置は、テキサス・インスツルメント製のFLIRで、燃料タンクを改良した監視システム。
↑ 1982年三沢基地で撮影したVP-4のP-3B/YD-1/Bu.No.153433。この機体は、1979年にはYD-4だったが隊長機になっていた。
↑ 厚木基地での先輩小林氏が撮影したVP-4のP-3B/YD5&11。機首の番号(Modex)がこの部隊は右に傾けた斜文字であるのが特徴。尾翼のチップと痩せた龍の縁取りが黄色であった。
↑ White Bearさんが、1973年10月に撮影されたVP-4のP-3B。私の世代が1976年に初めて見たこのマーキングは、1973年には機体にほどこされていたのだ。機首のModexは、まだ斜文字になっていないのと、バーバースポイントを示す虹のマークが無い事が違いと言える。
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↑ 1982年の三沢基地のエプロンでの様子、エプロン内にはVP-40の姿も数機見えた。
↑ 上写真は1979年2月にハワイのバーバースポイントで撮影されたVP-4のP-3B/YD-4/Bu.No.153433。
↑ 1979年嘉手納基地のR/W05-Lに着陸するVP-4のP-3B/Bu.No.153430
↑ 1979年嘉手納基地のR/W05-Lに着陸するVP-4のP-3B/Bu.No.153432。機首のModex横にも小さなインシグニアが貼ってある。このマーキングはVP-4の全く新しいデザインと思っていたが、1970年代に一度採用されたデザインの踏襲だったのである。
↑ 初めて嘉手納基地に遠征した時に、基地のR/W05で撮影したVP-4のP-3B/Bu.No.153431
↑ 1980年代初頭に三沢基地に派遣された時期から、このようなVP-4のインシグニア事態を尾翼に描く方式となった。バーバースポイントを示す虹も形を変え、それまでの斜文字も通常の物に変更されている。P-3B/VP-4/Bu.No.153458
↑ 1970年代後半から、痩せ細ったドラゴンを尾翼に書き込むようになった。デザインのモデルは中国画の天に上る蛇のような痩せた龍かもしれないが、違うところが一か所あり、それは龍に翼が描かれている部分である。中国の龍には翼は無く、欧州の龍伝説には翼がある。尾翼の付け根にはハワイのバーバースポイント海軍基地所属を示す虹のマークが入れられるようになった。P-3B/VP-4/Bu.No.153435
↑ 1976年厚木基地で撮影したVP-4のP-3B/YD-1。この頃は相模大塚駅から歩いて近いR/W19付近のお墓で撮影することが多く、その墓にあった1本の大きな木に乗れば、離陸に向かうタキシーウェイ上の航空機が少し上からの目線で捉える事が出来た。同じ場所から着陸も撮る事ができ、同一日に撮った2枚の写真が上である。VP-50の飛来ばかりが多い中、VP-4のP-3Bは、時たま撮れる嬉しいターゲットだった。