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↑ 1983年1月 厚木基地に飛来したVP-44のP-3C/LM-1/Bu.No.160761。鈴木純夫氏撮影
(1951~1991)
VP-44は、第二次大戦後の1951年1月に東海岸のNASノーフォークにおいて、9機のPBM-5マリナース飛行艇をもって編成された飛行隊で、当時バミューダ海域や北のニューファンドランド島沿岸海域の哨戒を担当した。1952年同じ飛行艇型の哨戒機P5M-1マリーンに機種更新後、1950年に陸上型の哨戒機P2V-3に転換してからは、主に地中海方面での哨戒任務に就いていた。1962年にP-3Aに転換後、本拠地をノーフォークからNASパクトセントリバーに移動したが、そこでの最大の任務となったのが、1962年のキューバ危機への対処だった。VP-44は、キューバからミサイルを引き上げるソ連艦船の確認と追跡などで、無事封鎖任務を終えている。1970年初頭は地中海方面の任務が多く、スペインのロタ海軍航空基地やクレタ島などに拠点を置きながら、哨戒活動を実施していたが、1972年6月にモロッコでP-3B/Bu.No.152182が山岳地帯に墜落し 14名が失われると言う大きな損害を出している。但し、ロタを拠点にした哨戒任務での功績は大きく、この期間に2度の功労部隊勲章を受けている。1980年9月嘉手納基地に派遣され、この期間にインド洋までの哨戒任務を実施し、ここで艦隊支援の為にハープーン対艦ミサイルの発射訓練をしている。VP-44は、その後再び大西洋に戻り、ソ連原潜の演習に対するASW任務等を行ったが、冷戦終了の軍備削減の波で1991年に解散となっている。
↑ 1976年9月 SAC(戦略空軍)の基地グランドホークスで撮影されたVP-44のP-3A/LM-6/Bu.No.152175。観測用のバブルウィンドーの上にはガラガラヘビの海軍・海兵隊国籍旗(ガズデン旗)。”俺を踏むなよ”と書かれている。アメリカ独立戦争当時の国籍機であるが、1976年の建国200周年に期間限定復活し、この機体にも添付されたもの。2002年の同時多発テロ以降再び復活して、各地でよく使われる。
Wings
↑ 1984年6月NAS ブランズウィックで撮影されたVP-44のP-3C/LM-9/Bu.No.160610。恐らく1984年以降 尾翼のマーキングは第三代目の大きなゴールデンペリカンに変っている。ページ冒頭の2番目のイラストがそれである。
↑ 1975年8月にSAC(戦略空軍)の基地グランドホークスで撮影されたVP-44のP-3A/LM-5。上の機体と同一機である。
↑ 1973年8月に撮影されたVP-44のP-3A/Bu.No.152180。P-3オライオンの量産150機目に当たる機体。尾翼のマーキングは、初代のものでインシグニアをほぼそのまま尾翼に貼り付けたマーキングスタイルである。
↑ 1980年9月鈴木純夫氏が嘉手納で撮影されたVP-44のP-3C/LM-3/Bu.No.160763。尾翼のマーキングは第二代目のもので、インシグニアから爆弾を投げつけるペリカンだけ抜き出したデザインである。
↑ 1975年9月に撮影されたVP-44のP-3A/LM-3/Bu.No.152174