ペリカンという鳥を見ると、私は昔アメリカ海軍が使っていたP5Mマーリン哨戒機などの飛行艇をイメージしてしまう。本来は、飛行艇がペリカンに似ているのであり、ガル翼で水面に浮かぶ姿は正にペリカンの姿を参考にして作ったような飛行艇である。VP-45の前身は1942年フロリダのジャクソンビルで生まれた対潜哨戒飛行隊であったが、この部隊は創設時P5Mマーリン哨戒機を使っていた。
VP-45は、1963年NASパクトセント・リバーでP-3Aを受領して、1964年に再び創設の地ジャクソンビルに移動している。P-3を使用した当初の頃は、”LN”のレター以外に尾翼にはマーキングが無く、その代わりに機首の機番の位置に赤いシェブロンを描いていた。このシェブロンが、未だにインシグニアに書かれる由縁でもある。対潜爆弾を翼に抱えたペリカンが尾翼に絵が買えるようになったのは、1970年代からである。私は、2000年にNASオシアナで デモフライト機を撮影した以外縁が無かったが、2012年暮れに嘉手納基地に派遣され、半年の活動を行ったのでページをUPする事とした。
↑ 線書きでペリカンを入れた唯一のP-3C/Bu.No.163003。その他の機体は部隊識別できるものは残念ながら何も書かれていないので、その場での所属確認は出来なかったが。恐らくVP-45として運用されていたはずである。
↑ P-3C部隊が低視認性塗装で徹底化を図られていた時代のマーキングで、外形で判るのは所属部隊と機番(Modex)だけである。同時期の他の部隊ではModexしかない時期もあり、所属部隊ですら不明だったから、こうしてペリカンまで書かれてあれば上等な部類である。P-3C/Bu.No.158925
2013年4月4日は午後からこの機体が離陸して行ったので、夕方まで海岸で待ったが、P-3Cが帰って来たのは夜になってからであった。翌朝 エプロンで漸く撮影ができて、今回の嘉手納行はまずまずの成果になった。
右のインシグニアのペリカンは歯をむいて怒っているが、ペリカンなど鳥類にはこんな歯は無いのはご存知の通り。アメリカン・カートゥーンなのだ。ペリカンは大きな種類では、翼長が3メートルにもなる大鳥である。あの袋のついた大きな口は、獲物の小魚を水ごと口に入れ水を濾しだして食べる為である。性格が大雑把か面倒嫌いで効率を求めた結果の進化であろう。鵜のように人に飼われ魚をせっせと取ってくる便利なペットとしても使われていたようで、人懐っこい性格だそうだ。その為か鳥類の中では、猛禽類に次いで企業名や商品名に使われている。トキとか鷺なども同一の種目に当たる。
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↑ 上写真3枚のP-3Cは、2012〜2013年にVP-45に所属していたと言う資料があり、3機共にノーマークながらペリカンズの一員であった・・・
↑ 上2枚の写真は同時期に嘉手納基地海軍エリアで運用されていたP-3Cの2機で、ビューアルナンバーは、上がBu.No.161412、下写真がBu.No.161413と思われるが、VP-45所属であった資料は見当たらない。
2013年4月、ペリカンが嘉手納基地に常駐しているということで、休みをとって某国から沖縄まで出向いた。しかし、最初に目にした時は、色付きも色なしも全景を撮ることはできず、とりあえず証拠写真を・・・・この部隊 2012年12月25日にフィリピン沖合で遭難した韓国のコンテナ船を発見して救助活動を支援するなど大活躍を見せている。
↑ 2012年時点でのスキッパー機で機首のシェブロンが遠慮がちに復活している。尾翼のペリカンにも赤いシェブロンを移設してしているが、この後出てくるスキッパー機にこれは引き継がれていくことになる。P-3C/Bu.No.158214
1998年10月 オシアナ海軍基地でデモフライトしたP-3C。アメリカ大陸の同じく東海岸にあるジャクソンビル海軍航空基地から飛来したもので、私がオシアナで撮影できた唯一のP-3C実戦部隊だった。2000年前後は、P-3のロービジの最盛期で、この機体の国籍マークも薄いグレーである。スキッパー機らしく、ペリカンのクチバシと抱える爆弾に少し色が付いており、これだけでも綺麗に感じた時代だった。