↑ 上の一連の写真もWhite Bearさんが、1970年8月に新明和の伊丹工場に飛来したVP-46のP-3Bを捉えたもので、尾翼のチップが白で、中にトライデント(三つ又の槍)が書かれている等、興味深いマーキングをきちんと撮影されている。VP-46は、この年(1970年)の12月にはアラスカ州のアダック海軍航空基地に本拠地を移してるが、グァム島のアガナ海軍基地にも分遣隊を出していた。White Bearさんによればこのナイトのデザインは、1973年には新しいデザインに変ったそうである。
↑ 1975年カルフォルニア州モフェットフィールドを訪問した渡辺明氏撮影のVP-46のP-3Bの列線。VP-46は、1966年には早くもB型に移行しているが、B型を11年もの長きに渡り使用して、1977年にC型に機種転換された。
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VP-46の歴史は古く、1930年代の大不況時代に生まれた海軍艦隊の偵察飛行隊VP-5Sが起源という事である。第一次大戦後でまだまだ対艦巨砲主義が跋扈してる時代になる。海軍艦隊には水上機や飛行艇による敵情偵察が必要とされ、配備された飛行艇VP-5Sはパナマ運河付近で活動していたが、1932年頃からサンディエゴに移動し太平洋艦隊での勤務になっている。丁度大戦後発生した大不況の対策でニューデール政策が開始された時期になる。第二次大戦中は、新型のカタリナ飛行艇を装備して再びカリブ海から南アメリカ大陸に沿った海域でUボートの監視にあたっていたが、大戦終了後は再び西海岸のサンディエゴに配備された。部隊ナンバーもこの頃VP-46となり朝鮮戦争では台湾海峡から中国沿岸の哨戒を担当している。ベトナム戦争勃発前の1961に本格的な対潜哨戒機であるP2Vネプチューンに機種交換して、その3年後には早くもP-3Aオライオン対潜哨戒機の部隊となった。
↑ VP-46に最初のP-3Cが配備された1961年時点ではダークブルーの初期マーキングだったが、1965年頃からガルグレーの下地に文字が入るようになり、VP-46ではモデックスにトライデントを入れるデザインが採用された。P-3A/Bu.No.152154
↑ White Bearさんが、1968年8月に岩国基地で撮影された離陸するVP-46のP-3B/Bu.No.152740。VP-46は1964年1月太平洋艦隊哨戒飛行隊の中で最初のP-3A運用部隊となった飛行隊でもある。1966年にはB型に更新して、未だ返還前の沖縄の那覇海軍航空基地に展開しベトナム戦争中はマーケットタイム作戦にも参加している。
↑ 尾翼の絵柄は部隊名通り、灰色の騎士像とされているが、機体がライトグレーの為に少しブルーを入れた暗い灰色で塗られており、角度によっては青っぽく見える。このマーキングの初期のものでは騎士がライトグレーで塗られていた機体も確認されているが、やはりこのように濃いグレーの方が生える。
↑ 上写真は、全て渡辺明氏が1975年に撮影されたものであるが、これらVP-46のP-3Bのコックピット下には多くの功労勲章を獲得したことを示すマークが並んでいる。
↑VP-46がB型を受領してからのマーキングで、A型時代に機首のモデックスに入れていたトライデントを尾翼のチップに移し、赤いクレストを付けたナイトの兜が尾翼を飾った。P-3B/Bu.No.152753
↑従来のトライデントはマーキングから除かれ。部隊ニックネームのグレーナイツだけが強調されたマーキング。尾翼のチップは赤色に変った。P-3B/Bu.No.152746
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↑ モフェットフィールド海軍基地に駐機するVP-46のP-3A/RC-1。Modexの1番が隊長機であり、機首にスキッパーマークが貼られている。