VP-46
RC-4/160284
↑撮影年月日が不詳だが、フニュ師匠が厚木基地で撮影したVP-46のP-3Cで、ナイトの絵柄に斧とトライデントが入っているC型マーキングの初期のものである。このマーキングで日本への飛来は少ないようで貴重な記録である。恐らく1977~1978年頃の撮影と思われる。
↑White Bearさんが1976年8月に厚木基地で撮影されたVP-46のP-3B。翌年1977年にVP-46はC型アップデートⅠに機種を更新しているから、B型最後の姿である。機首のモデックスがシャドー付で、金色のスキッパーマークが見えるが、隊長指定機である。但しモデックスやテールコードの白いシャドーは、この頃隊長機以外の機体にも全て施されていた。
↑ 1970年代末、厚木基地や嘉手納基地で日本の航空マニアが良く目にするようになったVP-46のマーキングがこのタイプで、再びトライデントは除かれている。P-3C/Bu.No.160287
↑1977年にVP-46がC型を受領して、恐らく最初に施されたマーキングと考えられる。ナイツの絵柄にトライデントが復活し、斧の付いた武器も交差している。本来騎士はトライデントを武器としないが、対潜機のシンボルとして入れたものと想像できる。但しこのマーキングは2年余りで消え、1979年には新しいものに変った。P-3C/Bu.No.160283
Page-2
Tail-Marking of VP-46 (1979)
HOME
NEXT
click here
前ページで記載したように、米海軍対潜哨戒飛行隊として最も長い歴史を誇るVPの1つであり、1931年から1990年までの60年間に、PM-2からP-3C(UPDATEⅢ)まで12機種もの航空機を使用した実績を持つ対潜哨戒飛行隊。第2次大戦中は主にカリブ海を中心に対U-ボート戦に従事し、3隻のU-ボートを撃沈した記録が残っているようだ。朝鮮戦争時にも中国沿岸から台湾海峡のパトロールで多くの戦功賞を受けている。
(2002/3 記)
P-3C
P-3B
RC-7/160287
These photos of crews were taken at NAF ATUGI & MISAWA in 2001.
RC-1/159893
↑ P-3Bを使っていた頃はModex-1が隊長機であったが、何故か00番に隊長機を譲って1番は隊長機ではない。1979年夏、この時嘉手納基地の海軍エリアに駐留していたVP部隊はVP-50ブルードラゴンズであった。
(2001)
これらクルーの写真は、2001年の厚木基地と三沢基地でのOpen Houseの際に撮影したものだが、女性クルーが夫々の機体に少なくとも1名存在し、P-3部隊への女性進出率はかなり高いように思われる。また人種もアジア系/ヒスパニック系/アフリカ系と人種のるつぼアメリカを象徴するかのようである。
↑ 1979年厚木基地航空祭で展示されたVP-46のP-3C
↑ 1978年厚木基地R/W19で離陸する為、滑走中のVP-46のP-3C/RC-1
RC-00/160289
↑ 1979年6月嘉手納基地に飛来して、ローカルで飛行訓練をしたVP-46のP-3C/Bu.No.160289。Modex-00は珍しいので、当時は興奮して撮影した記憶があるが、スキッパーマークが機首に入っているから隊長機である。
(2001)
(2001)
Wings
↑ 1979年5月の岩国基地航空祭(FSD)で展示されたVP-46のP-3C/Bu.No.160283。White Bearさん撮影
RC-2/159894
RC-3/160283