P-3C/SF-5/158225
↑引き続きWhite Bearさんが嘉手納基地で撮影されたVP-48のP-3C/SF-5であるが、1978年時代と細かい部分でマーキングが異なるのである。1つは尾翼の付け根に機体番号(Modex)が書かれるようになった事、もう一つは尾翼のテールコードの白いシャドーが強調されて太くなった事である。
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P-3C/SF-7/158217
(1946~1991)
VP-48は1968年2月にP-3Bに機種更新g後、その年の12月にアラスカ州のNASアダックに配備される。ベトナム戦争中の1970年にはカムラン湾に分遣隊を出して、北ベトナムから海上ルートでベトコン(南ベトナム解放戦線)への武器や物資の輸送を監視、阻止するために活動。1971年5月飛行隊は、P-3Cを受領してフィリピンのNASキュービーポイントへ移動している。この時にもエンジンのタンクに誤って洗浄液が注入された事が原因で、離陸後4つのエンジンが全て発火して墜落、但し離陸直後で運よく死者は1名だけだったようだ。1972年グアム島アガナ海軍基地の分遣隊のP-3が、ソ連の弾道ミサイルのレーダー観測艦を追跡中に、ソ連の弾道ミサイルがテストコースに弾着する様子を捉えたと記録されている。本ページではP-3C受領後10年を経過した1981年以降のVP-48の様子をご紹介する。
↑ 1978年頃 三沢基地に展開し、厚木基地にも良く飛来したVP-48のP-3C。機首のModexに重なるようにブーメランが書き込まれたマーキングで文字はこの時期Modexとテールコードが斜文字であった。また部隊番号”VP-48"は、白のシャドーが入っていた。
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P-3C/SF-9/158222
↑ VP-48は、VP-44に変わって1983年1月に嘉手納基地に展開して、約8か月間ここで活動して、夏の終わりにはVP-4と交代している。1983年が本格的に嘉手納基地に展開した最後の年でその後1991年解散しているので、彼らを見る機会は少なかった。
↑ アメリカ建国200年の1976年に厚木基地で確認されたVP-48のP-3C。機首のコックピット下にアメリカの星条旗を模した3色のシェブロンが書き込まれている。P-3C/SF-2/Bu.No.158222
↑ 撮影時期が多少前後するが、White Bearさんが1983年5月に撮影された上の一連の写真とほぼ同時期に渡辺明氏が嘉手納基地海軍エリア内で撮影されたVP-48のP-3C群。光の当たり具合から早朝に撮られたものである事が判る。駐機しているP-3Cの後方に見えるのが塀で、塀の奥は嘉手納町の住宅街となる。
↑ 本項では冒頭にWhite Bearさんが、1983年5月に嘉手納基地で撮影されたVP-48のP-3Cを展示させて頂く。Modexとビューアルナンバーを見る限り、1978年と比較し機体の入替は殆ど無いようである。只、Modex11/12を8/9に変えているようだ。