↑ 1979年11月 フロリダ州ジャクソンビル海軍航空基地で撮影されたVP-49のP-3C/LP-6//BU.No.158929とLP-7/Bu.No.158920。この年のModexは、6番も7番も斜文字となっている。
(1946~1991)
VP-49は、第二次大戦末期の1944年に西海岸アラメダ海軍航空基地で誕生したVP-19の流れをくむ飛行隊らしく、PBM-3Dマリナ―飛行艇を運用して、ハワイのカネオヘに進出してウェーク島方面等で日本の潜水艦のハンターキラー任務でも活躍した部隊だそうである。戦後は、VP-49と部隊名を変え、バミューダ地域に移動となり、世界初の原潜ノーチラス号の試験航海などをサポートしている。
VP-49は、1962年10月~11月までの期間、キューバ危機の際のキューバ封鎖の為の哨戒活動に従事し、1964年2月にパクトセントリバー海軍基地にVP-49の新本拠地を移している。但し NASバミューダに主力を置いて活動していたようで、この年にP-3Aオライオン哨戒機を受領開始した。また 1964年10月~11月にかけてスペイン沿岸でアメリカ海軍と海兵隊が実施した当時最大規模の水陸両用上陸演習”スティール・パイク作戦”におきても、VP-8やVP-44と共に演習でのASW任務を実施している。この演習は、ジョン・S・マケイン中将(息子は大統領候補になったベトナム戦での英雄)とジェームス・バークレイ中将(硫黄島攻略作戦を指揮)が指揮をし、艦艇84隻 人員28000人が参加した大きな演習だったそうである。1970年に当時最新型のP-3Cに換装し、1970年から1972年にかけては、アイスランドのケフラビックに駐留して、北海周辺のASW任務に就いている。
↑ 1985年5月にジャクソンビルで撮影されたVP-49のP-3C/LP-2/Bu.No.157319。機首のバブルウィンドー下のインシグニアは、旧来のタイプに替っている。1985年にまだこの部隊にはロービジの波が来ていなかったとは驚きである。
↑ 1978年9月 フロリダ州ジャクソンビル海軍航空基地で撮影されたVP-49のP-3C/Bu.No.158568。Modexは、斜文字ではなく、右側面のバブルウィンドー下のインシグニアは、ウッドペッカーの新インシグニアが添付されている。