VP-50
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(1946~1992)
VP-50の起源は、1946年にワシントン州シアトル近郊のNASサンドポイントで創設されたVP-917と言う飛行隊でカタリナ飛行艇(PBY-5A/6A)を運用して始まった。部隊番号がVP-50となったのは、1953年らしく、この頃から東アジアに展開して、岩国基地に分遣隊を派遣するなどして黄海や南シナ海の哨戒まで行っている。この時期アメリカと中国は朝鮮半島で対峙しており、1953年だけでVP-50の哨戒機(PBM-5A)は、1機が撃墜され14名行方不明、3機が損傷すると言う被害を受けている。1960年VP-50は、再び岩国に駐留し、シベリア沖から北ベトナム沖までの広い海域を担当した。1967年カルフォルニア州のモフェット海軍航空基地に戻ったVP-50は、ここで新型のP-3Aの配備を受けている。翌年にはベトナムのカムラン湾に分遣隊が派遣され、カムラン湾で最初にP-3A飛行隊として駐留した部隊と記録された。この地域での一連の活躍に対し、海軍部隊勲章(Meritorious Unit Commendation)が送られている。(2025年2月 記)
↑ 1971年に厚木で撮影されたVP-50のP-3A。部隊のシンシグニアであるブルードラゴンを尾翼に大きく描いている。ヨーロッパの龍伝説にあるワイバーンがモデルになっていると思われる。
↑ White Bearさんが、1968年岩国基地で撮影されたVP-50のP-3A。赤いブーメラン型のマークを付けた初期のマーキング。
↑ VP-50のドラゴンが実際に機体書かれるようになったのは、1970年に厚木でも見られるようになったこのマーキングからである。P-3A/SG-6/Bu.No.152178
↑ 上写真は、渡辺明さんのスライドコレクションから、1974年3月にモフェットフィールド海軍航空基地で撮影されたVP-50のP-3C。尾翼のチップは上から白、ライトブルー、ネイビーブルーの順でラインが引かれ、ブーメラン型の矢尻が濃紺で書かれているが、1974年以前の写真でこの部分が赤く塗られているマークの散見されるので、赤から青に変更された可能性もある。いずれにせよ1975年からマークは更に新しいものヘ一新されている。
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↑ VP-50 P-3Aの初代のマーキングと思われる塗装である。A型を装備していた頃は、カムラン湾での哨戒活動などで多忙だった時期に当たる。P-3A/SG-1/Bu.No.152185
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Wings
↑ 1975年にモフェットフィールド海軍基地で撮影されたVP-50のP-3C。1971年にC型に更新して4年が経過、この新塗装は航空ファンの中でも高評価だったデザインで、日本でもとても人気があり長谷川模型でもP-3C1/72を発売時に箱絵に使っていた。当時のC型は機首レードーム下面のKA-74カメラ収納Boxが、それまでのA/B型と違う部分であったが、この中のカメラは全面/左右と直下の4方向に渡り撮影が可能。当時はフィルムを使用していたので、一般に使われる35㎜フィルムの倍の大きさである70㎜フィルムを100フィートの長巻で収容して、自動撮影が出来るようになっていた。カメラ窓は、前方/左右ともに30度の傾斜が付いている。