VP-6
P-3B/PC-7/Bu.No.154589

(1943〜1993)

VP-6の起源は、第二次大戦中にNASウィドビーアイランドで創設されたVB-146らしい。”VB"なので爆撃隊を示すのだが、この飛行隊が運用していたのは、陸軍がB-34として採用したロッキードベンチュラ爆撃機を海軍仕様に変更して、哨戒爆撃機として使ったPV-1である。双発でレーダーを持ち、翼下にロケットランチャーも追加したため、洋上哨戒と爆撃を同時にこなせた機体だった訳だ。VB-146は、この機体で南太平洋方面の哨戒を担当していた言うから、部隊番号が変わったのは戦後の事であるが、VP-6が歴史の長い哨戒飛行隊であった事は判る。
 VP-6がP-3Aを取得したのは1965年のベトナム戦争時で、1967年にはバーバースポイントの哨戒部隊として最初にAGM-12ブルパック対地ミサイルを装備運用し、南ベトナムのカムラン湾海軍基地に配備されている。ベトナム沖での任務は物資を運ぶために漁船に化けたベトコンのトロール船狩りであったと言われる。P-3A時代には、事故で2機のP-3A(Bu.No.152151/151350)を失っている。オライオンのB型を受領したのは1974年であるから、私が厚木基地で撮影に没頭していた頃はB型を使っていた。

↑ 1965年 VP-6に初めてP-3Aが配備され、最初のマーキングとなったものが、上のイラスト図。機番が機首と尾翼両方に大きな文字で入っている。尾翼にはVP-6を示す六つの星が描かれており、これはロービジになる前まで、VP-6のマーキングを踏襲した。P-3A/PC-8/Bu.No.150529 この機体は後にEP-3Aに改造された。

↑ 1970年代半ばから、大きな鮫のシルエットを描くようになり、本拠地であったバーバース海軍航空基地を示す虹のマークも入れられるようになった。P-3B/PC-2/Bu.No.154591

Wings

↑ 1974年からP-3Bに更新がなされ、、ブルーシャークに由来するアオザメのシルエットが尾翼に入るようになった。P-3B/PC-11/Bu.No.152143

P-3Aを受領する前まで使っていたのは、ネプチューンの改良型SP-2Eで、ベトナム戦争当時は、沖縄の那覇基地をベースにトンキン湾と南シナ海の監視とASWパトロールを任務としていた。1965年から岩国に移動し、それまでの5500時間の無事故安全飛行に対し”Forces Expenditionary Medal"を受賞している。同年VP-6は、P-3Aオライオンに機種更新した。1967年バーバスポイントで初めて空対地ミサイルブルパックを運用する飛行隊となり、地上目標の攻撃任務が加えられた。

VP-6の鮫の絵柄は、1975年から受領したP-3B時代にも変化している。当初は写真のように鮫の絵は直線的に描かれていたが、1979年には、下に掲載の白黒写真のPC-8番機のように尾びれを持ち上げた図柄となった。どちらも鮫の青色が実にあでやかで撮影できた日は、本当にうれしかった。1975年部隊は、P-3部隊として初めてグアムのアガナ海軍基地に分遣他を派遣し、これは1976年3月まで続いた。
P-3B/PC-3/Bu.No.154589
1977年にVP-6はバーバースポイントにて、P-3Bの機器類をバージョンアップする改造を受け、P-3B TACNAV MOD(P-3B MOD)となった。これは、より強力なエンジン、最新のナビゲーションシステム、アップグレードされたアビオニクスを搭載した”スーパーB”と呼ばれる機体であった。
P-3B/PC-5/Bu.No.154587
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1972年11月末から1973年5月までVP-6は、再び沖縄の那覇基地を拠点に、タイのウタパオに分遣隊を派遣するなど東南アジア海域の哨戒任務を実施、ベトナム戦終結の最後の期間にフィリピンから日本における海域の担当をした。そして、1973年の後半に当時P-3飛行隊の巣であったハワイ・バーバースポイントへ移動した。