禿鷹のインシグニアを掲げたVR-64のC-130T”DB"が、日本でも見かけるようになったので馴染みがあるが、この部隊が予備役のP-3飛行隊だった頃は、殆ど日本とは縁のない存在だった。1970年11月に大量に創設された予備役哨戒飛行隊の一つとして、NASウイーログローブで生まれている。尾翼に死肉をあさる大きなハゲワシと”64”をデザイン化した翼を大きく描いたP-3は、数多くの予備役部隊の中でも目立つ存在だったはずである。彼らは、部隊創設時にSP-2Hネプチューン哨戒機12機と将校60名、下士官323名でスタートを切った。
1973年6月に機種更新を行いP-3Aを受領、1年をかけて定数を揃えオライオン部隊に生まれ変わった。本拠地NAS ウィーログローブが大西洋に面している航空基地である事から、大西洋から地中海にかけての哨戒任務が多かったようであるが、1982年には機種をA型の改造発展型に更新している。また1990年には、A型10機体制から、より新型のB型8機に更新している。この際に対艦ミサイルハープーンの運用が可能となり、有事にはソビエトの哨戒艇の鬼畜などを念頭に訓練を行っている。
1994年4月頃からは、ユーゴスラビア紛争の後始末で、シチリア島のシゴネーラ基地に駐留して、アドリア海等の航行禁止区域の監視などで活動した。同時にこの時期に予備役飛行隊の中では珍しくP-3Cの最新型であるアップデートⅡに更新された。1995年以降は、カリブ海での麻薬ルートの監視などで大量の押収につながる成果も出していたそうである。
↑ 1975年9月に撮影されたVP-64のP-3A/Bu.No.151377。漸く翼を畳んだハゲタカのマークが入った。(撮影場所不詳)
この新しいマークは、1975年にLCDRマイク・ホランド少佐が考案して、1976年6月に正式に部隊使用が承認されたそうで、それまでこうした正式マークが無かった時期に比べ、ステッカーやハッチも新調され、海図や作戦書類にも添付されて 大いに士気が上がったと記録されている。
↑ 1997年6月 ドビンス空軍基地で撮影されたVP-64のP-3C Update-Ⅱ。最新型の更新されて2年目の夏である。他の部隊同様 低視認性のマーキングに変更されているが、この時代のP-3部隊のマーキングと比べても、まだ 色も濃く 大きな部類である。
↑ 上2枚の写真は何れも1974年5月 VP-64の本拠地であったNAS ウィーログローブで撮影されたもので、P-3Aの列線を見るとテールレター”LU"のみで、ハゲタカのマーキングは入っていない。
↑ 1975年9月にNAS ウィーログローブで撮影されたVP-64のP-3A/Bu.No.151383。この写真でも判るとおり尾翼のハゲタカのマークは、かなり大きく書かれていた。