(1970~1994)
アメリカ海軍の予備役対潜哨戒部隊は1970年に創設された飛行隊が多いが、VP-67もしかりであった。
テネシー州のNAS メンフィスで生まれたVP-67は、ゴールデンホークスと命名されたが、サンダーチッキンとも呼ばれたようである。最初に受領したSP-2Hネプチューンの尾翼には縦書きに”PL”のレターと大きな鷹が書かれていた。同時期に創設された予備役対潜哨戒飛行隊は12飛行隊もありVP-61/62/64/65/66/67/68/69/90/91/92が該当する。また余談となるが同じ時に予備役輸送部隊もVR-50/51/52などが生まれている。VP-67は、SP-2H時代からメンフィス航空基地にじっとしておらず、国内・海外への派遣が盛んに行われており、ネプチューン時代にスペインのロタへの派遣から、1980年代に嘉手納基地/三沢基地への派遣が始まり、嘉手納基地には4回、三沢基地には7回も派遣されている。最後の派遣は1993年4月の嘉手納派遣であった。
↑ 厚木基地を離陸の為R/W-19に向かうVP-67のP-3A/Bu.No.151379。大学を卒業して就職後は、偶にしか行けなくなった厚木基地で曇り空のした見かけないマーキングのP-3を発見して、興奮しながら証拠写真を撮った。VP-67は、1985年三沢に駐留していた事があったが、私にとってはこれが最初で最後の撮影の機会だったのだ。この機体は、後にTP-3AとしてVP-MAU(The Master Augment Unit)で運用されたそうである。
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↑ 1980年8月メンフィス海軍航空基地で撮影されたVP-67のP-3A/Bu.No.151369。尾翼のマークは、黄色で書かれているが、部隊名ゴールデン・ホークに由来するデザインである。尚 このP-3は、後に民間に払い下げられて消防用の機体で活躍することになる。
↑ 1982年8月撮影場所不明 VP-67のP-3A/Bu.No.151353。1982年6月からNAS キュビーポイント(フィリピン)に派遣され、その時期に海上自衛隊との対戦訓練を盛んに行った。 
↑ 1985年4月メンフィスで撮影されたVP-67のP-3A。1985年の初頭までは旧マーキングが存在したようであるが、このようにインシグニアをそのまま尾翼に書き入れた新マーキングが施されるようになった。
↑ 1985年5月メンフィスで撮影されたVP-67のP-3A。同飛行隊は、1985年3月にP-3Bに機種更新するが、最後までC型に移行することは無く、B型運用のまま閉隊となった。
Wings
↑ 1980年10月NAS メンフィスで撮影されたVP-67のP-3A/Bu.No.152174。SH-2HネプチューンからP-3Aに更新されたのは、1977年7月とある。1979年7月からNAS ウィッドビーアイランドを先駆けに各地に派遣されるようになり、1980年5月には初めて嘉手納基地にも派遣されている。