↑ 1978年厚木基地を離陸の為滑走するVP-69のP-3A/Bu.No.150521。Modex-60と言う変わった番号を付けているが、VP-69は、一時期所属機が60番台のModexを使っていた事がある。この機体は、EP-3Aに改装され、その後も次々とタイプを変更した機体である。このA型は、古い機体でA型ブロック30に相当し、量産47号機である。

↑ 1979年3月 ワシントン州NAS ウィッドビー・アイランドで撮影されたVP-69のP-3A/Bu.No.152175。

↑ 1979年厚木基地に飛来したVP-69のP-3A/Bu.No.152167。この機体も一時期Modex-66を使った事がある。後にこのP-3Aは、ブラジルに売却され、ブラジル空軍のP-3AMとして、アマゾン流域やプレソルト地域の天然資源の監視と保護に使われたが、もちろん電子偵察と対潜任務にも使ったとある。

VP-69

↑ 1978年横田基地に飛来したVP-69のP-3A/Bu.No.152173。

尾翼にトーテンポールのマークを入れたVP-69は、他の多くの予備役哨戒飛行隊と同様1970年11月に創設されている。本拠地は、ワシントン州 NAS ウィッドビー・アイランドでSP-2Hネプチューン哨戒機12機で編成されていた。5年後の1975年11月にP-3Aオライオン哨戒機に更新し、1978年頃からは、グァム島のアガナ海軍航空基地(NAS Agana)に分遣隊を派遣するようになる。それまで 予備役哨戒飛行隊は、殆ど対潜哨戒の実任務に就いていなかったが、この年あたりから第一線の任務にも就くようになったそうである。1981年1月に本拠地 NAS ウィッドビーアイランドで事故が発生し、P-3A/Bu.No.152161が不時着で失われている。(死者は無し)、また 1981年5月からは、5機の分遣隊が沖縄の嘉手納基地に展開している。この期間、ベトナムを脱出するボートピープルの監視業務などで111回の出動があったと記録される。
 部隊は、1987年1月P-3Aの発展型に更新し、その際対艦ミサイル ハープーンの運用が出来るようになった。1992年10月にはP-3Cに更新している。

Wings

↑ 1997年頃 厚木基地で撮影されたP-3C/Bu.No.162999 フニュ師匠撮影

↑上写真は、1980年春 ユタ州のヒル空軍基地(Hill AFB)を訪れた時に撮影したもので、基地見学の前日柵の外で撮影をしていた時に飛来したVP-69のP-3A/Bu.No.152164。こんなところでもお目にかかった縁のある飛行隊であった。
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