VP-9
Page-2
私のとっては、厚木基地に通い始めた1976年にVP-50の撮影機会に出会い、1977年に嘉手納基地に遠征した際、海軍エリアに列線を成していた思い出のVP部隊である。当時はネガカラーから白黒フィルムへの転換を図っていた時期であるが、まだ自分で現像する前であったので、富士フィルムのネオパンSS等を使っていた。1977年暮れにコダック社の5062 PlusXや5063 Try-Xを自らフィルム現像/焼き付けをするようになって、初めて画像の改善が可能になったが、それまでは友人達との画質の格差は愕然とするほどであった。
P-3C/PD-5/Bu.No.159885
P-3C/PD-7/Bu.No.159887
↑ White Bearさんが、2000年5月に嘉手納基地で撮影されたVP-9のP-3C。ロービジ時代に於いては、こうしたマークが入っているだけで、嬉しかったものである。写真を拝見するまで、この塗装をしたP-3Cは見た事が無かった・・・・。
P-3C/PD-767/Bu.No.161767
P-3C/PD-225/Bu.No.158225
P-3C/PD-1/Bu.No.159891
1977年8月初めて嘉手納基地を訪れた際、嘉手納の海軍スペースにいた部隊がVP-9だった。厚木基地では中々機体番号が揃わないこの部隊のP-3Cの列線を見た際は、やはり感激した。たった1週間で、ほぼ全機をファインダーに収めることが出来るのだ。残念ながらこの時はまだコダックの白黒フィルムを使っておらず、写真の粒子がはなはだ粗いのであった。
Tail-Marking(1977)
Old insignia of VP-9
P-3C/PD-9/Bu.No.159890
↑ 1980年代に確認されたVP-9/P-3Cの新しいマーキング。尾翼の絵柄から部隊名ゴールデン・イーグルは連想できないが、当時のインシグニアをそのまま尾翼に移植したデザインで、鷲はハープーンミサイルを抱えている。それまでC型の特徴であった機首下のカメラベイは無くなった。
P-3C/PD-2/Bu.No.159892
↑ 上写真のP-3C/PD-2/Bu.No.159892は、この翌年である1978年10月26日にアリューシャン列島の沖合にエンジン火災で不時着水して失われた。乗員14名の内 4名は冷たい海で救助前に死亡、残りの10名はソ連の船に助けられて、ハバロフスクに連行され、11月に解放されたとある。
Wings
Tail-Marking(1995)
VP-9は、1976年にP-3C アップデートⅠに転換し、その後沖縄嘉手納基地に派遣された。P-3Cで初めてインド洋へ展開した部隊である。1984年には、部隊として最初にインド洋に浮かぶディエゴ・ガルシア島に6ヶ月の駐留派遣を実施している。
P-3C/PD-3/Bu.No.159883
↑ 上の2枚の写真は、1977年8月に嘉手納基地R/W-05で撮影したものである。
(1995)
HOME
↑ 1985年10月に撮影されたVP-9のP-3C/Bu.No.159505。この機体は1979年にはVP-9で確認されており、1978年にアリューシャン沖合で失われたPD-2/Bu.No.159892の補充と考えられる。
NEXT
click here
P-3C/PD-003/Bu.No.161003
PD-003(161003)は、2002年12月から確認された隊長機で、機首番号(Modex)の"003"には黄色いシャドーが入っていた。
↑ 1976年にP-3Cを受領したVP-9のマーキングは、B型後期のものを踏襲している。白頭鷲が持って投げつけようとしているのは、インシグニアにあるハープーン対艦ミサイルではなく、P-3B時代から運用が本格化したブルパックミサイルのようである。
Tail-Marking(1979)
↑ 1979年の入間航空祭にて展示されたVP-9のP-3C。後方にVMA(AW)-553のA-6Eも展示されている。1971年の名古屋国際航空祭でもVP-9のP-3が参加している。
Tail-Marking(1978)
(1995)
(1995)
P-3C/PD-324/Bu.No.159324
P-3部隊がロービジ塗装になって以降は、部隊に1機しか存在しない飛行隊長指定機のみ尾翼にマークを入れるようになった。故に時たま撮れると感激したが、その以外のノーマークのP-3を撮る意欲は殆どなくなってしまった。
(1995)
(1995)
(1995)