↑ 1983年4月 鈴木純夫氏が厚木基地で撮影されたVP-90のP-3B。1980年代はローテーションで予備役哨戒飛行隊が日本の嘉手納基地や三沢基地に派遣されることもあったが、それでも厚木でVP-90を見る事は本当に稀だった。
↑ 1978年の6月B-52爆撃機のベースでもあるマイノット空軍基地で撮影されたVP-90のP-3A/Bu.No.152163。同隊のマーキングの特徴ともなる3色のラインが尾翼と機首に入り始めた。右翼端パイロンには、大型のサーチライトAN/AVQ-2Cが懸架されている。このサーチライトはP2V-7が翼端に付けていた型と同一品。
(1970~1994)
P-3オライオンの尾翼のライオンのマークと機首の美しいラインが有名な部隊で、日本にも極稀に飛来していたのでマニアには人気の飛行隊であった。他の予備役部隊と同様1970年11月に創設された飛行隊である。本拠地は、イリノイ州のグレンビュウー海軍航空基地(NAS Grenview)であるが、この基地は航空会社で有名なカーチス・フライングサービス社によって造られた航空サービスのハブ飛行場だったそうである。1930年にはエアレースが開催されるなど、航空関係の著名人が集まる場所でもあったらしい。軍に売却されたのは1940年になってからである。VP-90は、ここで対潜飛行隊の第一線部隊のお下がりとなったSP-2Hネプチューン哨戒機を受領して訓練を始めている。飛行隊が運用したSP-2Hは12機で、同時期の創設された12個予備役哨戒飛行隊は、ほぼ同じ規模で運用が同時進行している。VP-90は、創設時大西洋方面が担当エリアであったが、1975年7月1日から太平洋方面の任務の変わり、本拠地をモフェットフィールド海軍航空基地に移動している。この為 1980年代には時々日本でも見られるようになったのである。
↑ 1977年6月にNAS グレンビューで撮影されたVP-90のP-3A/Bu.No.152185。VP-19/VP-50等での使用を経て、同隊に移管された機体であるが、P-3A時代は、尾翼のチップは白く、3色のラインが入るのは、1978年からである。
↑ 1977年7月にデトロイト近郊のセルフリッジ州空軍基地で撮影されたVP-90のP-3A。
↑ 1979年7月に本拠地であったイリノイ州 NAS グレンビューで撮影されたVP-90P-3A/Bu.No.152160。この機体は、VP-47(RD)がA型を使っていた頃同隊に新造後初めて配備され、VP-90に移動する前はVP-6が使っていた。。