↑ 一連の写真はNAS サウス・ウェーモスで夏場に撮影されたものらしく、カナダとの国境も近いアメリカ東北部の針葉樹の風景が綺麗である。
(1970~2007)
VP-92は、アメリカ海軍対潜哨戒の予備役飛行隊として1970年11月に創設された。同じ部隊番号を持つ飛行隊が、太平洋戦争末期の1944年に存在したが、この部隊との関係は無いようである。VP-92は、マサチューセッツ州のサウス・ウェーモス予備役海軍基地で当時第二線級となったSP-2H ネプチューン哨戒機を受領して活動を開始。基地の在ったサウス・ウェーモスは、アメリカ北東部の都市ボストンの少し南側にある町で、大西洋に面した場所である。第二次大戦中に海軍の飛行船の基地として造られたそうで、その後拡張されて アメリカ海軍予航空予備役訓練指令部などが設置され、多くの予備役飛行隊が此処で訓練を行っている。第二次大戦当時 この海域はドイツ海軍のUボートの活動地域であり、本海軍基地は対潜哨戒用の飛行船の基地として使われていたそうだ。大戦後はUボートの脅威が無くなり、飛行船から飛行機専門の基地として3本の滑走路が整備されて、1970年代にはアーチ型の格納庫も完成し、予備役飛行部隊の飛行訓練に大いに使われた。
VP-92は配備された基地の位置からも、地中海や中東方面での任務が多く、イスラエルとアラブ諸国の戦闘ヨムキプール紛争(第4次中東戦争)で大きな損害を受けたイスラエルのA-4攻撃機の部品輸送なども行ったようである。また1990年代には、ユーゴスラビア紛争の際にアドリア海の航行禁止海域の哨戒などにも携わっている。部隊は、1996年6月にサウス・ウェーモス基地の閉鎖に伴いNAS ブランズウィックに移動し、P-3Cまで機種更新して運用されたが、2007年に閉隊している。
↑ VP-92/LY-2/Bu.No.150512は、P-3Aのブロック25に当たる機体でVP-22やVP-4で使用されて、同隊に来るまではVP-90で使われていた。この機体150512は、派生型も含め150機以上が造られたA型量産38号機に当たる。
↑ VP-92/LY-3/Bu.No.151386は、VP-4で使用されている時代に日本の伊丹新明和工場にも飛来し撮影されている。
↑ 尾翼のマークは独立戦争当時の民兵”ミニッツマン”で、アメリカの軍事関係にはパトリオットと共に良く使われる名称である。普段は農作業などに従事しているが、いざ戦闘となれば分単位で戦場に駆けつける民兵としてこの名が付いた。大陸間弾道弾にも同じ名が使われている。
↑ VP-92は、1984年にP-3AからP-3Bに更新している。↑ 上の写真は1986年5月に撮影された写真で、B型の更新されたタイミングで尾翼のマーキングを全面的に変更している。しかし その後P-3Cに機種再更新した際、マークは小型化となったがA型時代のものが復活しているのだ。
↑ 一連の写真は1977年の8月から9月にかけて撮影されたもので、VP-92がP-3Aを使用していた時代である。因みにVP-92は、SP-2Hから1975年にP-3Aに更新しているので、写真はオライオン対潜哨戒機に更新されて間もない頃のものである。右翼パイロンについているのは、AN/AVQ-2C 大型サーチライトでP2V-7の翼端に着いていたものを、そのまま流用している。