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VA-147
尾翼の青龍刀と赤いチップラインが印象的な飛行隊で、このマーキングのファンは多かった。特に尾翼のラインに沿って描かれた”青龍刀”はA-7コルセア「海賊」の名前と機体の尾翼形状に良くマッチングしたデザインであると私は思っている。・・・と言う事は、後継のFA-18にこのまま当て嵌めても似合わない?残念ながらそうである。

 蛇足であるが、日本刀と逆で青龍刀は刃の部分が太く剣先が重くなっている・・・つまり日本刀が研ぎ澄まされた刃の威力によって物を切るのに対し、青龍刀はその切っ先の重さを利用し、運動力でぶった切るという原理だ。無骨ながらもA-7は、その搭載力にものを言わせて活躍した機体であったから、彼女(A-7)にピッタシといえばピッタシのマーキングに思える。

 このVA-147もよく厚木横田に訪れた飛行隊の一つで、1977年のUSSコンステレーションの寄航時にも厚木基地にA-7Eが数機飛来している。その後もバイセンマーキングの”NE-401”を初め4機が大挙厚木に飛来するなどで NAVYフリークを喜ばせた。
 VA-147は1968年に編成された部隊で、FA-18Cに機種改変した現在までずっと太平洋艦隊の空母航空団に所属している飛行隊である。もちろんベトナム戦にはA-7Aを率先する形で参加しており、VA-147も1968年のローリングサンダー作戦後期から出撃を繰り返し、米軍の損害が大きかったラインバッカー作戦では1機を対空砲火で撃墜されている。A-7Eを実戦で初めて使用した部隊としても記録されているようだ。(2003/10 記)
上写真は、厚木基地で所謂”お墓”と言われた撮影ポイントから撮ったVA-147(NG-411)。
機首には、”CITY OF KINGSBARG"と書かれていた。お墓で撮る際は、F-4ファントムなら250oから300o、A-7では300oのレンズがあれば充分ファインダーに収まった。 午前中は逆光であり、午後から夕方にかけては順光、1本だけ3-4人の人が乗ることが出来る大きな木があり、それに乗れば柵内が見廻せた。

このA-7AコルセアUで北ベトナムを攻撃するために作られたような飛行隊である。1967年12月には、A-7での最初の爆撃行を行った飛行隊としても有名。最初に載った空母はUSSレンジャーで、艦名は、尾翼に書き込んであった。この他、ケサンの攻防戦でのサポートや1968年の北朝鮮のプエブロ号事件の際の警戒任務などデビュー以来忙しかったのである。

1970年4月から1970年12月までの間、短い期間だったがUSSアメリカに搭載された。この時のマーキングを再現したイラスト。翼下には、ベトナム戦でもよく使われたMk-82スネークアイ爆弾をつけてみた。全長229p 重量254sの小型爆弾で、制御用のフィンがついており、リリースされ後フィンが開きパラシュートを広げたような空気抵抗効果で機体からの距離をとるよう設計されている。低空での精密爆撃に用いられた。翼下

VA-147のCO機、1976年の建国200周年を記念したバイセンテニアル塗装で機種の機番”401”は、星条旗をあしらったデザインとなっている。VA-147/401の機首右側には”CITY OF LEMOORE”と書かれていた。厚木基地にも飛来してファンを喜ばせた。
Wings
NG-406
NG-413
NG-407
NG-403
NG-403
1980年代前半のロービジビリティ塗装になる前のVA-147のマーキングは若干の変更が施され、青龍刀のデザインが一新された。それまで11年間USSコンステレーッションから1984年キティホークに移動してテールレターも”NE”となった。
photo by okinawanobito
上下の写真は、1977年に横田に飛来した4機のVA-147所属A-7Eのうち、後に離陸した”402””403”番機。

  NG-402 ”CITY of HANFORD"
.... NG-403 "CITY of OLONGAPO"