太平洋戦争終了直後の1945年10月に創設された飛行隊で、A-7Eを使っていた飛行隊の中では比較的歴史が長いようだ。我々日本の航空ファンの接点は、1991年USSインディペンデンスの横須賀母港化以前の1986年7月。空母ミッドウェイの艦載機として、去って行ったVA-56やVA-93の代替飛行隊として配備された。VFA-192は、F/A-18A/Cの飛行隊の一つとして23年間厚木にいたため、もっとも馴染みがある飛行隊の一つであったが、VA-192時代のA-7Eは飛来も少なく残念であった。1985年に"NM"のテールレターをつけて岩国に駐在したので グレーのA-7Eの写真を撮っている人も多いが、私は友人から提供頂いたこの部隊のA-7Eの写真が、どこかに仕舞い込んで出てこない。そこで作成したイラストから紹介することとした。
 太平洋戦争終了後の平和な時代に生まれた飛行隊ながら、その後の朝鮮戦争やベトナム戦争では、参加回数も多く歴戦の部隊としても有名だが、多くの被害も受けている。A-7Eだけで4機が撃墜され、2名はいまだ行方不明のままである。
 

上のイラストは1976年当時の塗装であるが、コックピット後方のドラゴンが、丸いエンブレム形式に書き直されている。各種爆弾などをぶら下げるラックの先端、AIM-9サイドワインダー用のレールの先端も黄色く塗られ、脚の一部も黄色く塗装されるマーキングの特徴から、イエローソックスなどと呼ばれる所以となった。ロービジマーキングへ変更後はドラゴンは尾翼に書かれるようになり、F/A-18Aへの更新以降もこれが踏襲される。
1970年A-7Eを受領して間もないころのマーキング。このマーキングの写真は多くない。このダブルナッツ機のように鮮明な写真が残っているケースもあり、イラストで再現した。イラストA-7Eの第8ステーションにはAGM-12Bブルパックをつけてみた。このミサイル全長が318㎝で小型ではあるが、当時空対地ミサイルで唯一誘導ができた誘導弾。北ベトナムの鉄橋を精密爆撃しようと使ったが跳ね返され、何の被害も与えられず橋はびくともしなかった。原因は標的に対しミサイルが小さ過ぎたのだが、「くその役にも立たないミサイル!!」として評判を下げてしまった。しかし、戦車やソフトスキンには十分有効でウォールアイが出てくる前はよく使われたようだ。
VA-192のA-7Eのマーキングとしては非常に有名なもの。この時期、胴体の金龍もリアルに描かれており 尾翼の黄色は戦場でも目立ったであろうが、士気高揚の為長らくこのマーキングが使われた。この機体A-7E/Bu.No.157530は、戦闘時に受けたダメージがひどく修理不能で,、トンキン湾に空母から投棄されたとある。
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