VA-37の歴史は飛行隊ナンバーの割には意外と浅く1967年7月になる。A-7Aが海軍に配備され始めた時に創設された攻撃飛行隊で、2年後の1969年にはCVW-11に組み入れられ、早速ベトナム戦に駆り出された。1970年にはCVW-3に移動1972年に再び10ヶ月余りベトナム戦に参加したが、ラインバッカー作戦のこの期間だけで2機が対空ミサイルもう2機が対空砲火によって撃墜される苦い体験をした。

 1974年に新型のA-7Eに転換NASセシルフィールドをベースにしていたが、VA-105の後を受け 1984年末から翌年7月までの間、岩国のMAG-12にローテーションで配備された為、多くの航空ファンが彼らをGETしている。その後USSフォレスタルのCVW-7に鞍替えした為一時は”AE"のレターを付けたが、FA-18に転換し再びCVW-3”AC"に戻って現在はNASオシアナをベースに活躍中である。
 ”BULLS”の部隊名に則り、当飛行隊A-7コルセアの尾翼を飾る雄牛のマーキングは何代かデザインを変えている。下イラスト3番目の前足を挙げた牡牛のデザインは、アメリカの証券会社アンダーセンの社章とよく似ており拝借してきたのかもしれない・・・失礼!。しかし、なかなか尾翼にマッチした素晴らしいデザインであり、航空ファンを魅了する存在だった。
A-7コルセアの為に作られた部隊と言って良いVA-37、部隊番号末尾の「7」は恐らく創設1967年の7とA-7の「7」である。この飛行隊が最初に載った空母は我々にも親しみの深いUSSキティホークであった。1969年には、左側ベトナム戦へ駆り出され、ベトナムでテト攻勢以降の巻き返しでの爆撃任務に従事している。1968年11月に北爆が全面禁止になって以降の任務であるため、主たる目標は南ベトナム内のベトコン勢力および侵入した北ベトナム軍の一部に過ぎず、対空砲での激しい反撃は少なかったと思われる。そのためか1968-1969の間 飛行隊に被撃墜などの記録はなかった。
Wings
1970年からその後暫く搭載される空母USSサラトガのCVW-3に移動、CVW-3のテールレター”AC”を付けた。イラストはハイビジ初期の最も有名なマーキング。1972年にはこのサラトガでベトナムでの大規模な北爆作戦ラインバッカーⅡに参加、この飛行隊だけで3機が撃墜され2名が戦死するなど厳しい洗礼を受けた。
1970年後半にマーキングのフルモデルチェンジを行い、大きな牡牛を尾翼に書き込んだ。VA-37の300番CAG指定機は、A-7Eになっていくつかのマーキングパターンが存在したが、上のイラストは牡牛の角を各飛行隊カラーで並べた塗装例である。CAG機は尾翼に雄牛のシルエットをそのままスケールダウンしたカラーリングを並べていたものもあった。
PHOTO BY H.FUNYU
岩国の海兵隊のローテーション配備に海軍のA-7Eが応援配備され、VA-105に次いでVA-37が1984年から岩国に配備された。海兵隊の傘下に海軍機が入ることは初めての事として注目された。 
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