1972年からのラインバッカーU作戦開始で4月からトンキン湾入りしたUSSミッドウェー。VA-56は、この激しい北爆作戦の間 あっという間に4機を失った。この機体(Bu.No.154399も1972年11月に対空火器で落されているが、パイロットのロッズバーグ大尉は救助され生還した。
1973年7月からUSSミッドウェーが横須賀を母港としてため、VA-56も厚木基地に駐留するようになり、我々日本の航空ファンに馴染みの深い部隊となる。機体はB型からA型にスペックダウンしていたが、この頃のマーキングが上のイラスト。CAG機は、尾翼先端のチップを各飛行隊のSQカラーで塗り分けをしていた。”00”の機番が黒で書かれていた時期もある。空対空ミサイルは、AIM-9B。1970年代にはB型は既になかった可能性もある。
1975年のマーキングは、恐らくVA-56のA-7時代で最も派手な時期だったと思う。機首のレーダーコーンから背中にかけて 青黄のラインが伸び 燃料タンクや 給油用のバディポッドまで矢尻が書き込まれた。空軍のKC-135のように大型の給油機や給油専門部隊を持たない海軍艦載機は、各空母航空団が給油を自前で行うことが多かった。特にA-6、A-7などの攻撃機飛行隊は、作戦予備機にこうした任務を負わせた。
Wings

A-7A

VA-56のA-7A時代は、スコードロンカラーのマリンブルーとイエローのストライプを各所に入れていた。上写真のように尾翼のラダーのストライプは4本で、その間に青い星が書き込まれていたのだ。燃料タンクや上写真の給油用のバディーポットにも矢じりの付いたラインを入れて派手であったが、E型に更新された後は尾翼のブーメランと矢じりだけのあっさりとしたマーキングに変更された。その為、写真を分類する際もA型とE型はマーキングの違いだけですぐに判別できた。
渡辺 明さん撮影のVA-56 A-7A型 1974年頃のNF-414/Bu,No,153220 A型時代の最もマーキングが凝っていたときのもの。ラダーの塗り分けはE型に変わってから無くなっていった。

A-7A,NF-400 Bu,No,152675

NEXT
click here

A-7A/NF-415/ Bu,No,153199

HOME
VA-56

(1956〜1986)

”チャンプス”の愛称でマニアからも親しまれたVA-56”Champions"は、朝鮮戦争が終了して3年後の1956年に創設した部隊である。部隊ナンバーは、創設年1956年からVA-56となったようである。当初装備したA-4から1968年11月にA-7Aに機種交換し ベトナム戦では18000回以上の出撃をこなしている。特にUSSタイロンデロガに搭載されていた1966年2月には、VA-56のA-4含み1ヶ月間に10機の機体と同数のクルーがこの空母だけで失われたほど激烈な戦闘を経験している。この時ベトナムでは、1965年2月に開始されたフレイミング・ダート作戦の延長で、本格的かつ長期にわたる北爆作戦”ローリング・サンダー”が1965年3月から開始されており、その真っただ中でVA-56は戦ったと言う訳だ。
 1970年にCVW-5(NF)に移動しVA-93とペアを組んで後に厚木基地をベースとしたため、我々にとっても最も身近なA-7部隊となった。1977年にE型を受領。その後FA−18Aに機種転換する予定であった。 確かブーメランと矢尻のVA-56のマークをつけたFA−18Aを航空雑誌で見た記憶があるが、結局ホーネットに転換することなく1986年10月に部隊は解隊となった。(2004/7 記)

A-7A,NF-404 Bu,No,153248

A-7A,NF-407 Bu,No,152677

VA-56は1969年にA-7Bを受領してほどなくUSSレンジャーからUSSミッドウェーに移動している。CV-41ミッドウェー時代の初期のマーキングはオレンジと白の帯。1972年からのラインバッカー作戦への参加は、このスタイルであったはずだ。空対空ミサイルは、ベトナム戦でアメリカ海軍が使っていたAIM-9G/H

VA-56のA-7A時代は、背中からレーダー・コーンにかけてラインが入い最も美しいカラーリングだった。ラダーもスコードロンカラーと星で飾られ、燃料タンクまで統一されたマーキングはマニアを充分魅了するものであったと言える。下の白黒写真にある”NF-400”はラダー白一色で寂しいが、フルマーキング時代はフィンチップをCAGカラーで色分けしていた。1977年からA型からE型になって、これらの凝ったマーキングはすっかり取り除かれ、よりシンプルな(本音で言えば寂しい)マーキングになってしまった。

 1956年7月4日にカルフォルニア州ミラマー海軍航空基地で設立されたVA-56は、パンサー、クーガーなど猫シリーズの戦闘機を経て 1958年からA-4スカイホーク戦闘機を受領、1964年から空母タイロンデロガに搭載されベトナム戦に投入された。それから約10年間A-4を使い続けベトナム戦を長く戦った飛行隊でもある。A-7Bを受領したのは1968年で、この時載っていた空母は最新鋭の原子力空母USSエンタープライズだ。ベトナム戦から離れた1973年にA-7Aに交換、B型からA型への変更理由は詳しく知らない。ベトナム戦に投入されていた時代、空母ではA型の欠点であったスチームカタパルトから出る水蒸気によるコンプレッサー・インストール対策をしたB型を優先して使用したのであるが、後にA型も対策を施されて空母で使えるようになっていた。。1977年にA-7Eに更新をはかっている。