1979年頃 マーキングが思い切ったデザインの変更を行い 赤いライン2本に星となる。1979年10月のキティホークCV-63の横須賀寄港の際は、全機この塗装に替わっていた。

VA-94
厚木基地では、北風の時 タキシングを撮れるチャンスは少なかった。唯一撮影可能だった東側の一角は、機体がランウェイをクロスして 東側のタキシーウェイを利用する時のみで タキシングを狙うマニアは、航空無線(ラジオ)をしっかり聞きながら この誘導路(タキシーウェイ)を通過することをキャッチすると一目散にここに向かった。但し 草で航空機の車輪が隠れてしまうことが多かったのが 難点。今では高い樹木が植えられ まったく撮影不能である。
Wings
1979年10月10日に横須賀に寄航、10月14日公開した USSキティホークの艦上で撮影したVA-94の各機、以前の塗装を一新して まるでまったく違う部隊になったような印象を受けた。この塗装でこの年は沖縄の嘉手納基地にも多数飛来している為 多くのマニアがこのマーキング時代をものにしている。この後 VA-94のマーキングは再び1976年時代の物に似た2本の曲線ラインのものに塗り変えられ 尾翼に”百舌”が書かれるようになた。
VA-94の創設は1952年3月となっているが、VA-94に改称される前の部隊は、VB-20と言うナンバーで攻撃飛行隊として活躍していた。それは、1943年に設立されている部隊であるが、遡って言及する理由は、 このVB-20と言う部隊が ドーントレス、ヘルダイバーと言った往年の名急降下爆撃機を使って 太平洋戦争に参加しており 何と日本海軍の戦艦武蔵をシブヤン海で撃沈した飛行隊の一つであったからである。また ペリリュー島 パラオ島などを初め多くの激戦地には参加している歴戦の部隊であった。

1958年A-4Cスカイホークを受領しその翌年に”シュライクス”と言う現在の部隊名になったようだ。1964年には初のベトナム戦に参加 翌年のローリングサンダー作戦から本格的に出撃しているが 被害も多く A-4時代だけでも少なくとも5機を撃墜されている。1971年にA-7Eを受領 引き続きベトナム戦に駆り出されここでも3機を失った。それだけ酷使された飛行隊ともいえる。A-7E時代は、マーキングがよく変わる部隊との印象が強く1975年 1977年 翌78年 その後もマーキングを変えているので 見るたびに違う部隊かと勘違いしてしまう。1990年にFA-18Aに更新され さらにFA-18Eに更新を終えた。ホームベースはNASリムーアである。
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1979年7月 4機で嘉手納に飛来したVA-94のA-7Eの内 NL-400 CAG機 Bu,No,156836

1977年8月厚木に飛来したVA-94 A-7E NL-400.VA-94シュライクスのマーキングで 一番印象的なのが 上の写真の塗装であるのだが このマーキングを施していたのは、1976年から1977年にかけての 僅か1年余りであった。特に このNL-400番は、シンプルながら絵になるデザインで マニア好みといえよう。

1983年頃の塗装で ロービジの影響を多少受けているが まだまだ派手な部類のマーキングであった。デザイン的には、1977年に厚木に飛来した時のマーキングに回帰している感じだ。

1976年頃のVA-94 NL-400番のCAGマーキングである。この姿で厚木基地にも飛来している。A-7Eの配備を1971年に受けてから1977年までUSSコーラルシーに7年も載っていたが、その後 USSキティホークに移動し 1981年までこの艦に載っていたが ずっとCVW-15で”NL”である。

1971年のVA-94のA-7E マーキング。個人的には、一番好きな塗装であるが、コルセアの配備を受けた翌年には、北ベトナムのハイフォン港の機雷封鎖作戦に出ている。1972年5月から1か月間は、本格的な北爆”ラインバッカーⅠ”に参加した。