AG-200 (2002)
AG-203 (2002)
VF-11
ゴードンと言う酒は、18世紀英国ロンドンで生まれた最古のジントニックだそうで、当時からホッグ(野生のイノシシ)の頭とソーセージがラベルのデザインだった。創設者のアレキサンダー・ゴードン氏は、ジンの香り付けをするハーブを探して人を魅了するテイストを発明した。そのレシピが他社に漏れないよう注意深く後継者に伝えたようで、今でも社内の一部のものしか知らないそうだ。レシピを知っていて、この酒を造れる職人は今でも12名しか存在しないらしいが、そんなところが英国らしいこだわりのお話である。上の図は、1990年USSフォレスタルに載っていた頃のマーキングで、機種にホッグの顔が書かれている珍しいマーキングである。
第二次大戦終戦後の1950年に創設された部隊でF-4ファントムからF-14への機種転換は意外に遅く、1980年になってからである。ベトナムへの参戦時期を除き大西洋方面で任務に着くことが永かった為、我々日本の航空ファンはあまり目にする事が無かった。1994年F-14Dに機種交換し、4年程CVW-14(NK)の傘下に入り、1994年3月にVF-31と共にUSSカールビンソンに搭載されて横須賀に寄港した事がある。そのお蔭で大西洋方面での行動が多かったこの部隊のF14についても、一部のマニアは撮影の機会を得ることが出来た。

 「赤い切り裂き魔」と言うのは、猪突猛進し猟師や猟犬に深傷を負わす猪(いのしし)の事を指すが、猪マークはゴードンと言う酒のラベルから流用したものらしい(このゴードンの猪の頭の下に並ぶ楕円形の物は、いのしし肉で作られたソーセージだそうだ)。VF-11のCAG指定機は、しばらくの間、頑なに当時流行のブラックテール・マーキングを採用しなかったが、2000年・・突然、流行に乗るかのように登場させている。
一度飲んでみよう!このジントニックやはりRed Rippersの香がします。
VF-11のブースにて ポーズを取ってもらったお二人のパイロット。Goodsがいっぱい !!
Wings
"MUTHA GRAND SLAM"と尾翼にあるのは、この部隊が栄誉ある"MUTHA"(最高の海軍戦闘機ヤローの賞)を3度受賞したことを記念したのものである。因みに1992,1994年と2002年が"MUTHA"獲得の年である。ご存知の通り"MUTHA"は、公式な賞ではないが、これを受賞したF-14スコードロンは、必ずと言って良い程、自慢げに尾翼にこの文字を入れる。
AG-201 in hangar
VF-11は、F-14トムキャットの飛行隊の中で、A型B型D型の3種類をすべて使った飛行隊だった。1980年に最初のA型を受領し、1992年にD型に更新、その後 1996年にF-14B型を受領してバージョンダウンしている。空母フォレスタルが引退するまで、VF-11はUSSフォレスタルかUSSジョンFケネディに載って航海することが多かった。1994年と1996年にカールビンソンのCVW-14に搭載され太平洋方面に進出、横須賀にも寄港しているので、報道関係には94年3月11日公開された。下図は、CVW-14所属時の1994年と1996年のCCAGマーキングを再現してみた。
2002年部隊創設75年の記念塗装を施されたAG-201、月桂樹で飾られたマークは201号機のみならず、全機に入れられていた。
VF-11と言うナンバーの飛行隊は大戦前後にもあったが、何度も姿が変わっており、現在のVFA-11繋がるのは大戦後にレッドリッパーズとして生まれた飛行隊である。この部隊の事で私の脳裏に焼き付いているのが、大昔にある雑誌で見たベトナム戦時代の大事故の写真である。何の雑誌かは忘れたが(毎日グラフだったかもしれない)、白黒の見開きページに洋上に浮かぶ空母フォレスタルを後方上空から撮影した甲板の状況が写し出されていた。

 記事の写真ではF-4Bを始めA-7など艦載機が、甲板でバラバラになっていた。焼け焦げた機体の残骸が甲板を埋め尽くし、ガソリンの引火で黒焦げになった後部甲板の無残な姿が衝撃的だった。甲板上はまだ盛んに消火活動が行われている様子が写っていた。この空母が トンキン湾上のヤンキー・ステーション(北緯17°東経109°)に入って5日目の事故の様子を写した写真であったのだ。

1967年7月29日、この日2回目の出撃準備に入っていたVF-11のF-4Bに装備されていたロケット弾”ズーニー”が、甲板上で暴発し正面にいたA-4スカイホークに命中、漏れた燃料が横に置いてあった古い型の爆弾を誘発させた。その後次々に艦上で誘爆が起こり、死者134人を出す大事故に発展した。VF-11もF-4B5機が全壊し47人の死者を出している。この事故でCVW-17の80%が損害を受けたと言うから、すさまじい事故であったことがわかると思う。この為VF-11は、わずか2日間の出撃で本国への帰還を余儀なくされた。こんな忌まわしい事故があった事は、今はすっかり忘れ去られてしまったが、空母での火器管制のあり方に大きな1石を投じ、教訓となった事故でもあった。VF-11は、その後1973年にF-4Jを受領し 1980年にF-14Aに転換したのである。 
AG-200 (2002)
HOME
AG-200 (Red modex) taxing in NAS Oceana Oct.1998
AG-200 (Black Modex) spot in NAS Oceana Oct.1999
1999年の秋は、その年のハリケーンで3番目に大きなエネルギーを持った”フロイド(Floyd)”が メキシコ湾からアメリカ東海岸を舐めるように北上した影響で各地に大きな被害をもたらした。ここオシアナ海軍航空基地も台風の影響で、訓練スケジュールに大幅に遅れが生じた。その為、ショー開催日ギリギリまで訓練を延長して消化していた。
2000年に黒い尾翼に変えたVF-11の200番。2002年再び出会うことになるが、どこかが少し違う・・・
 お分かりだろうか、機首上面をグロスブラックに塗った為、以前のものより遥かにすっきりとしたのだ。さらに良く見るとホッグ(猪)の大きさ・赤い電光の書き方など若干違うのが判る。

         ↓
AG-200 (2000)
AG-201 (2002)1
1998年のオシアナにおいて、ギャラリーの前をタキシーしていくVF-11のF-14A ”AG-200”。この後”AG-204"続いたが、何とフィルム切れで撮れなかった。尾翼には、USSジョン・C・ステニスの艦名、それに尾翼内側にはCVW-7のインシグニア
AG-202 (Bu,No 161418) taxing in NAS Oceana Oct.1999
NEXT
click here
AG-206 in hangar
1999年10月 VF-11の載っていた空母は、ニミッツ級2番艦USSアイゼンハワー。1998年12月に6か月のパトロールからノーフォークに戻っているので、1999年は比較的平穏な年だったはずである。しかし、8月にCOMPTUEXその後JTFEXなどの激しい洋上訓練を消化している。
アメリカ海軍は、RF-8G/RA-5Cの引退に伴い、F-14装備の飛行隊に偵察能力を持たせる為TARPS構想を生み出した。偵察ポットの搭載能力を持ったF-14の運用である。VF-11はアメリカ海軍F-14飛行隊の中で、最初にTARPS運用能力を得たF-14が配備された飛行隊であった。下は2000年に現れたVF-11のブラックテール。(AG-200)
Tail-Marking of AG-201
(75th Anniversary & MUTHA)
メンテナンス・オフィスの壁に描かれた今月の整備責任者(?)の名前