VF/A-161
Wings
尾翼からレイドームまでダイナミックにグロスブラックに塗られ 尾翼の赤い電光!F-4N/J時代の「チャージャース」のいでたちは、日本国内だけでなく海外のファントムフリークの憧れでも合ったらしい。今考えるとこんなに美しいマーキングの機体をいつも目にすることが出来た日本のマニアは幸せだったのではないだろうか。S型に変わっても しばらくの間は、赤い電光は、尾翼を飾っていたが 後に黒または、グレーの電光にロービジ化されてしまった。こうなると まったく冴えないマーキングに見えてしまうから不思議だ。シスタースコードロンのVF-151と共に1986年4月に本国に帰還。後にFA-18Aを受領するが、ほどなく解散してしまった。
このパイロットが、4月26日の20ftの超低高度テイクオフの方ではないだろうか?
F-4N/J/S
VF-161の戦歴として記録に残しているが、USSコーラル・シーやUSS ミッドウェイに搭載されてベトナムで活躍していた頃のマーキングが上の図である。ちなみにベトナム戦で1973年1月12日に 空母ミッドウェーから出撃したビクター・T・コワレスキー大尉が MIG-17を撃墜、これがベトナム戦最後のMig撃墜記録となった。(197機目) この2日後の1月14日にビクター・T・コワレスキー大尉は、撃墜され これまたベトナム戦最後の被撃墜記録ともなった。
1977年建国200周年のバイセンティニアルマーキングを落した後 VF-161のCAG機は、尾翼のラダーと背中の艦名をCAGカラーで塗りこめ 空気取り入れ口には、「航空隊長」と漢字で文字を入れ込んでいた。写真では小さくはっきりしないが、当時マニアでは話題のネタだった。この機体(Bu.No.151433)は、F-4N型最後の隊長機であり この後1977年8月には、F-4Jの受領が始まり マニアの目からN型は消えていった。
1986年に厚木を去ったVF-161・・すでに四半世紀を過ぎているが、私の脳裏には、今も色鮮やかな”チャージャース”のマーキングとファントムの雄姿が焼きついている。1973年の3月に当時の中型航空母艦”USS MIDWAY"が横須賀を母港にするようになって 我々の身近な存在になった。何と13年間も厚木をベースにしていた部隊なのである。しかも 今部隊は、F-4Bファントム時代から3度もベトナム戦に参戦した歴戦の部隊で 1966年から1973年までに 少なくとも7機以上のMigをこの部隊だけで血祭りにあげている。ただ 部隊の損害もその分多かったようだ。

黒い尾翼と赤い稲妻のマーキングになったのは、1973年の厚木配備からであり それまでは、赤いシェブロンにインシグニアをあしらったマーキングであった。
F-4Jが部隊配備開始して後 B型を捨て去るのを惜しんだ海軍は、B型の寿命延長策を考案 その結果生まれた型がN型である。 178機が改装されたとされているが 写真でスターマークの上に細長く膨らみがあるところがECM装置、これもB型時代にはなかった特徴である。
 写真は、1977年初春に航海から戻ったミッドウェイを離艦して 厚木に着陸したVF-161 NF115である。風はRW01 左翼にはパッケイジ・ポッドを下げている。
Fighter Squadron VF-161 flew off the USS Midway for the last time on 24 March 1986. This marked the end of an era as this was also the time the F-4S was to operate from an aircraft carrier. The Chargers reported to NAS Lemoore fortransitioning to the  FA-18A Hornet. On 1 July 1986, VF-161 is renamed VFA-161 but, instead of returning to Atsugi, Japan with the rest of CVW-5 in October, the squadron was reassigned to COMLATWINGPAC ending her association with CVW-5.
Markinng of VF-161's F-4B
VFA-161として返り咲くことができなかったVF-161は、太平洋戦争時代に編成された戦闘機中隊で タラワなど多くの激戦地を戦い1945年の終戦共に解散している。1960年にNAS セシルフィールドで再編成されて 最初の受領機は F3Hデーモンを使った。1964年暮れからF-4Bを受領して USSコーラル・シーに搭載され ベトナム戦に投入された。その後の活躍は、前述したので割愛するが、1980年の12月と1981年の2月ににシスタースコードロンのVF-151と共にF-4Sを受け取っている。本来 VF-151と共にFA-18Aを受領して厚木に戻ってくる予定だったが、解散となった為 その後VFA-27が厚木に来ることになった。
F-4S
F-4SになってからのVF-161の機体はあまり撮れていないのだが、S型に変更になって全体的にロービジビリティ塗装が徹底され始めても 尾翼の稲妻だけは、”赤”のペインティングがされていた。ところが 1985年の10月頃を境に色気のある部分はまったく無くなり 上記4機のように 灰色の世界に突入した。1986年4月8日 最後のF-4Sが厚木を離れる時 懐かしの黒ラインに赤い稲妻を書き込んだF-4S(160789)が超低空でテイクオフして マニアにも別れを告げた。
渡辺 明さん提供の1975年撮影のF-4N 私のコダックネガカラーでは、すでに再現できない本来のカラーリングが コダクロームでは現在も見事に再現できる。
198011Midway入港の際 厚木に帰ってきたF-4Jはグレースキームに変わっており その後F-4Sを使用した時代もグレースキームが基本となった。同時にA-7Eも すべてロービジに変化 VA-56も同様、グレーに白地のレターにかわった。
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