VMA-542
VMA-531ハリアー飛行隊の後釜として、岩国に1977年に配備されたのがVMA-542である。右に掲載した迫力のある虎のインシグニアはF-4時代は尾翼に大きく書かれていたが、ハリアーに変わってからもラダ−を黒・黄の虎模様にし虎は小さく尾翼に書かれた。AV-8Aにてデビュー当時、グリーン系迷彩に良く似合い実に綺麗なマーキングであった。1977年嘉手納で見た彼らの尾翼からは虎のインシグニアが消えていたが、ラダーの模様は健在で、実に撮り甲斐のあるターゲットだった。VMA-542は1972年11月にAV-8Aを受領し、確か110機ほど配備されたAV-8Aの中で100機目を所有していた部隊でもあった事が、何かの雑誌に書かれていたと記憶している。ハリアーの配備を受けたVMA-542のパイロット達はフロリダ沖の強襲揚陸艦グァムで艦上運用の資格取得し実戦配備についた。A型を使っていた期間はその後約15年間で、VSTOL機当初の運用方法など多くを確立された飛行隊の一つだ。1987年の12月にAV-8Bに機種交換し、1989年の12月に再び岩国に配備された。この時は機種にグレーで虎の顔が書かれていたが、グレー系の迷彩に変更された際、その顔はデザインの異なったフルカラーの物に変更になっている。VMA-542のTOP-PAGEを飾るハリアーUのパイロットは、このVMA-542に所属したアート・トマティー氏で彼は海兵隊で 後にXC-35の最初のテストパイロットになった人物である。

Old Insignia of VMA-542

上写真は、XC-35の海兵隊最初のテストパイロットになったアート・トマティー氏
この部隊元々”ベンガルス”と言う部隊名であったようだ。1944年8月に夜間戦闘飛行隊として”VMF(N)-542”の部隊ナンバーで、装備もヘルキャット戦闘機の夜間戦闘型F6F-5Nであった。朝鮮戦争時代もF7Uカットラスの夜間戦闘機型と思われるF7F-3Nという機体を使っていたようで、正に夜間戦闘の専門部隊と言える。1963年にF-4Bを受領してからは、他の海兵隊戦闘攻撃飛行隊と変わらない任務をこなしていたものと思う。1970年6月に1度MCASエルトロで解散したが、AV-8Aの部隊として復活を遂げたもの。
(1978/9)
(1978/9)

1978年9月 嘉手納で飛行訓練をするVMA-542のAV-8A

(1990)
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(1995)

(1977/8)

(1977/8)

(1977/8)

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AV-8A
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(1977/8)

(1978/9)
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