VMFA-122
↑VMFA-122 1988年1月 FA-18A初来日の際は、機首編隊灯の上にMODEXを書いていたが、後に下(↓)にかかれるようになり 再び上に・・。VMFA-122は、1990年1月から半年 1991年の1月にも来日し その後毎年のように岩国配備されており 2003年まで岩国にいない年はなかった。その為最もシャッターチャンスに恵まれた飛行隊のひとつである。
VMFA-122は、1942年3月に部隊の前身が誕生している。この年の3月と言えば日本軍がジャワ島に上陸するなど 太平洋各地で破竹の勢いをみせていた時期である。この頃、部隊の前身であったVMF-122は、F4Fワイルドキャッツを受領し 後に有名なガダルカナルの攻略作戦に参加している。その後 F4U-1コルセアに転換し 太平洋戦線で35機の日本軍機を撃墜するなど実績を上げた飛行隊である。その時期彼他の部隊名は、「キャンディ・ストライパーズ」 この名前後に看護助士の総称となったが、赤と白の縞模様が.由来である。
 VMFA-122は海兵隊でFH−1ファントム(初代ファントム)を最初に受け取った部隊であり またF-8クルセイダーを最初に配備された部隊でもある。1957年頃VMFA-122は、部隊名を”Cruseders”に変更しているが、当時F-8を受領した最初の海兵隊戦闘機中隊であった為だ。

 私が彼らにはじめて出会ったのは、1979年7月に岩国のMAG-15に配備されたときであった。ラダーに蒼い剣のマークを入れただけのシンプルな塗装であったが、1年の日本滞在の間に彼らをできるだけ撮りたいと嘉手納にも遠征したものだった。VMFA-122がFA-18に機種転換したのは、1986年でVMFA-314についで海兵隊で2番目のホーネット飛行隊となった。よくローテーションで岩国にも来るようになってからは、撮影の機会も増えた。
←2000年 横田基地に展示されたVMFA-122DC-01 一時VMFA-122のテールレター”DC”が無い・・・時があった。しかし 01以外の他の機体も 十字軍の盾は黒で書き込まれており 派手なマーキングの部類ではある。

1995年 横田基地展示のDC01、07と12 A型が3機も展示された。 

Tail-Marking of 
DC-01 (2004)
Tail-Marking of 
DC-01 (2002)
Tail-Marking of 
DC-11 (1988)
←2002年横田基地OHに展示されたVMFA-122のFA-18Cの2機。DC-01は、クルセーダーからF-4B/J時代を彷彿させるマーキングで 久々にセンスの良い、またマニアを喜ばせるには充分なデザインである。
VMFA-122の新インシグニア各種、 一番右のは、FA-18C DC-10の尾翼に書かれた狼男?の横顔風。

 ↑2002年横田公開で展示されたDC-01に引き続き、2004年はより派手になって、ついに十字軍盾が尾翼全体に描かれるようになり このVMFA-122の司令官指定機の塗装は、この後の部隊マーキングに大きな影響を与えた。VMFA-122 F/A-18C Bu.No.164264

 ↑ 2008年のデザイン変更に伴いDC-00は、部隊の元来のインシグニアを尾翼に描いた。酒瓶に乗った酔っぱらいの狼君である。尾翼内側は、
ノーマーキングである。 
VMFA-122 F/A-18C Bu.No.164247

2↑ 2008年に元々の部隊名に由来する「狼たち」のコンセプトに基づきデザインを変更 狼は、狼男に変身して尾翼に爪痕を残したマーキングが入った。DC01以外は、このデザインをロービジ調で統一したが、塗装変更の過渡期には、いくつかの異なる狼男が尾翼を飾っていた。VMFA-122 F/A-18C Bu.No.164264

↑1998年岩国に展開していた頃の司令官指定機の塗装で、尾翼十字軍の盾がカラー3色である。背中の部隊名も剣を象ったデザインとなっており 尾翼先端にテールレター「DC.」が小さく書き込まれていた。 VMFA-122 F/A-18A Bu.No.163162

1994年にVMFA-122の司令官指定機になっていたDC-01 尾翼の盾には、2本の剣が交差している。A型を配備された海兵隊の多くの飛行隊が、部隊ナンバーを小さく背中に書き込んでいたのが、ロービジ全盛のこの時代の特徴。VMFA-122 F/A-18A Bu.No.163132

Tail-Marking of 
DC-01 (1995)
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2002年11月浜松の基地祭に展示されたDC-03とDC-07。この頃までにVMFA-122は、C型に更新されたのが分る。

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(1995)
(1988)
(1994)
Wings
F-4Bを受領したのは、1965年1月、この時VMA(AW)-122から VMFA-122に名称変更が行われた。ベトナム戦への参加は2度あり 1400回近い出撃記録を持つ。1975年F-14トムキャッツへの転換飛行隊の候補とされたが 海兵隊そのものがコスト面であきらめたため ”DC”のF-14Aは飛ぶことはなかった。VMFA-122は、1975年12月F-4Jを受領している。
FA-18A/C

←1978年10月の嘉手納基地、8月下旬から北風が吹いてR/W05の日が多い嘉手納基地、VFMA-122は、岩国からここに訓練にきており よく飛んだ。マーキングは、低視認性のロービジマーキングが、これから採用されようとしていた時期で F-4Jを使っている海兵隊の飛行中隊でも 配色の制限が加わり 以前のように派手なマーキングは姿を消しつつあった。VMFA-122も 剣を胴体に大きく描いたマーキング時代もあったが そうした派手なものは、すでに期待できないご時世になっていたため 青い剣が書かれただけでもうれしかった。

F-4J

Galloree

DC-251/155865
DC-252/153858
DC-253/153840

VMFA-122が1947年初代FH-1ファントム(後の名機ファントムUではない)を受領し 海兵隊最初のジェット機部隊となった際 デモンストレートチームとして海兵隊航空をアピールした。この時のチーム名が「フライング・レーザーネックス」

DC-257/153904
DC-256/153911
DC-253/153840
F-4J of VMFA-122 in Kadena 1979
(1994)
(2002)
(2002)