(2000)
(2000)
横田基地に展示されたVMFA-122DC-01 一時VMFA-122のテールレター”DC”が無い・・・時があった。しかし 01以外の他の機体も 十字軍の盾は黒で書き込まれており 派手なマーキングの部類ではある。
下は、2002年横田基地OHに展示されたVMFA-122のFA-18Cの2機。DC-01は、クルセーダーからF-4B/J時代を彷彿させるマーキングで 久々にセンスの良い、またマニアを喜ばせるには充分なデザインである。
PHOTO BY H.FUNYU
Tail-Marking of 
DC-01 (2002)
同じく2008年からブラックテールとなったDC-01 大きな月を背景に前足を伸ばして威嚇する狼であるが オカルト調のデザイン。
VMFA-122
VMFA-122は、1942年3月に部隊の前身が誕生している。この年の3月と言えば日本軍がジャワ島に上陸するなど 太平洋各地で破竹の勢いをみせていた時期である。VMF-122は、当初F4Fワイルドキャッツを受領し 後に有名なガダルカナルの攻略作戦に参加している。その後 所有機をF4U-1コルセアに転換し 太平洋戦線で35機の日本軍機を撃墜するなど実績を上げた飛行隊である。
 この部隊は海兵隊でFH−1ファントム(初代ファントム)を最初に受け取った部隊であり またF-8クルセイダーを最初に配備された部隊でもある。この頃VMFA-122は、部隊名を”Cruseders”に変更しているのは、当時F-8を受領した最初の海兵隊戦闘機中隊であった為だ。
 私が彼らにはじめて出会ったのは、1979年7月に岩国のMAG-15に配備されたときであった。ラダーに蒼い剣のマークを入れただけのシンプルな塗装であったが、1年の日本滞在の間に彼らをできるだけ撮りたいと嘉手納にも遠征したものだった。VMFA-122がFA-18に機種転換したのは、1986年でVMFA-314についで海兵隊で2番目のホーネット飛行隊となった。よくローテーションで岩国にも来るようになってからは、撮影の機会も増えた。
FA-18A/C
2004年1月時点のニッケル01のマーキング、中央の燃料タンクにも星条旗を基調としたマーキングが入っている。DC-01は、この後しばらく尾翼のマーキングを変えていない。

1978年10月 もう北風が吹いてR/W05の日が多い嘉手納基地、VFMA-122は、岩国からここに訓練にきており よく飛んだ。マーキングは、低視認性のロービジマーキングが、これから採用されようとしていた時期で F-4Jを使っている海兵隊の飛行中隊でも 配色の制限が加わり 以前のように派手なマーキングは姿を消しつつあった。VMFA-122も 剣を胴体に大きく描いたマーキング時代もあったが そうした派手なものは、すでに期待できないご時世になっていたため 青い剣が書かれただけでもうれしかった。

Wings
(1995)
F-4J

Galloree

DC-251/155865
DC-252/153858
DC-253/153840
DC-257/153904
DC-256/153911
DC-253/153840
VMFA-122 1990年1月 FA-18A初来日の際は、機首編隊灯の上にMODEXを書いていたが、後に下にかかれるようになり 再び上に・・。VMFA-122は、翌年1991年1月から半年 1992年の7月にも来日し その後毎年のように岩国配備されており 2003年まで岩国にいない年はなかった。その為最もシャッターチャンスに恵まれた飛行隊のひとつである。
2008年から部隊名を”WEREWOLVES"に変更 DC-00は、爆弾に乗って降下する狼君のインシグニアが書かれた。
VMFA-122の新インシグニア各種、 一番右のは、FA-18C DC-10の尾翼に書かれた狼男?の横顔風。
F-4J of VMFA-122 in Kadena 1979
Tail-Marking of 
DC-01 (1995)
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(1988)
(1994)
(1994)
(2002)
(2002)
F-4Bを受領したのは、1965年1月、この時VMA(AW)-122から VMFA-122に名称変更が行われた。ベトナム戦への参加は2度あり 1400回近い出撃記録を持つ。1975年F-14トムキャッツへの転換飛行隊の候補とされたが 海兵隊そのものがコスト面であきらめたため ”DC”のF-14Aは飛ぶことはなかった。VMFA-122は、1975年12月F-4Jを受領している。