VMFA-312
VMFA-312は、チェッカーボードという部隊名である。まるで標的曳航を専門に請け負う飛行隊のようなネームとマーキングの部隊だ。VMFA-312は1966年にビューフォートで設立され、F-8クルセダー時代も時折日本に飛来もしたそうだが、1979年の夏にF-4Jを装備してから、初めての岩国駐留を半年行った。それまでは雑誌の中でしか見る事のできなかった部隊だったので、嘉手納に初飛来した時の興奮は今でも忘れない。下のサムネール内に嘉手納基地のR/W23Rにフォーメーションでタッチダウンしている写真を掲載したが、それがF-4Jとなってから、嘉手納初飛来の時のものだ。

以前VMFA-312は、チェッカーボードの部隊名の通り 白黒のチェックを大きく尾翼に描いていたものの 来日時は、すでに主流になり始めたロービジ塗装を採用 グレーの機体に細かい黒のチェックを入れての登場であった。以前のような派手さには欠くが、嘉手納を訪れていたマニア諸氏は一様に感激してシャッターを切ったものである。その後 S型ファントムになってからも岩国に駐留しているが、チェックはグレーの濃淡と益々醜くなっていた。VMFA-312は 1987年にFA-18Aホーネットに更新し 再び岩国を訪れるが、長い間忘れ去られていた赤と黄のトリムラインが、再び復活しているのには驚いたのものである。(2002/6 記)

1959年の半ばにF8U-1クルセイダース戦闘機に更新、本拠地をMCASビューフォートに移動し、ベトナム戦にも参加。この間に厚木基地などに何度か飛来して、航空マニア達を喜ばした。1966年には、F-4Bファントム戦闘機に機種更新して、1973年にJ型に再び更新。1979年以降 半年にサイクルでの岩国派遣部隊に加わっている。

VMFA-312は、その名前の如く、尾翼を白黒のチェッカーで飾っていたが、特にF-4B/N時代はチェックのストレーキが尾翼前縁まで伸びており、上下のトリムラインはイエローとレッドで飾った。このトリムラインはFA-18になって再び蘇っている。
Marking of 1971'CheckerBoards

Insinia of VMFA-312

F-4J / DR-7 / Bu.No.155524

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F-4J / DR-11 / Bu.No.155838

F-4J / DR-12 / Bu.No.155862

F-4J / DR-6 / Bu.No.155807

太平洋う戦争終結後も1946年2月まで沖縄に駐留していたVMF-312は、1950年カルフォルニア州のエルトロ海兵隊基地に戻り、二人乗りの夜間戦闘機F7F-3タイガーキャットに機種更新し、1951年には朝鮮戦争に参加し、艦隊護衛と港岸封鎖などに任務をこなしている。

F-4J / DR-10 / Bu.No.157242

↑ 嘉手納基地で離陸の為、R/W-23エンドで待機する2機のF-4J。なんと彼らの前進であるVMF-312の最初の実戦が、ここ沖縄だった。米軍が沖縄を占領後、中飛行場と呼ばれた当時の嘉手納基地をベースに終戦まで戦い、日本軍機約60機を撃墜している。その多くは、沖縄に飛来する特攻機と思われる。

F-4J / DR-1 / Bu.No.153807

↑ F-4Jになって初めて岩国基地に配備され、1979年6月に嘉手納基地に初飛来している。尾翼のチェックは、1943年に当時のVMF-312が逆ガル翼の名機 F4U-1コルセア戦闘機のエンジンナセルと尾翼ラダーに付けた市松模様から継承されている。

1979年にF-4Jとなって、日本に初飛来した際のVMFA-312のマーキング。グレーのロービジがこの部隊にも影を落とし、チェックはグレーの地に黒で書き込まれた。チェック模様は細かくなり、以前のような大胆さは感じられない。
1976年前後と思われるが、J型を使用していた頃で最も派手だったVMFA-312のマーキング。尾翼はそれまでのトリムラインの赤/黄で大胆に塗り分けし、胴体にもチェッカーラインが入った。チェックの大きいタイプと細かく書かれたタイプもあったようだ。
Marking of 1975'CheckerBoards
Marking of 1979'CheckerBoards
Wings
F-4J/S