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VMFA-314は、1961年海兵隊で最初にF-4Bファントムを受領した飛行隊である。其の為、海兵隊におけるF-4Bの運用について、その先駆けの部隊として様々な先行した運用テストを行っている。彼らはF-4Bに関しての11項目の研究プロジェクトや評価項目を消化して、空対空兵器の新たな基準も打ち立てたとされる。またF-4ファントム戦闘機の運用試験中に30日間で1314時間もの飛行時間を消化すると言う記録を立てている。そして、ベトナム戦争で最も激しく戦った海兵隊戦闘飛行隊の1つでもある。1965年に空母バリー・フォッジに搭載されてベトナムに到着した同飛行隊は、1965年から1970年に掛けての5年間でダナンとチュンライの両基地を諸点に2万5000時間に渡る戦闘任務をこなし、45000tの爆弾などを叩きこんでいる。その成果に対し1969年と1970年の2回に渡り、最優秀戦闘機中隊に送られるハンセン・トロフィーが贈られた。これだけの活躍をしたVMFA-314は、成果の多かったが犠牲も少なくなかった。1965年7月、丁度F-4ファントムの生産1000機目に当たるF-4B/Bu.No.152276は、その時チュンライで活動していた同隊に補充で送られたが、翌年1966年1月24日 出撃した同機のパイロット ドイル・R・スクリック大尉とデルマ・ブーズ少尉は未帰還となっている。どうも僚機であったF-4B/Bu.No.162265と空中で衝突したらしく、4名は戦死とされた。部隊は1970年にベトナムでの任務を解かれ本国に戻った。
↑ White Bearさんが、学生時代に岩国基地で撮影したVMFA-314のF-4B/VW-10/Bu.No.150466。私もそうであったが、学生時代はお金の余裕も無く、時間的にも西岸がある中、神戸から岩国への遠征も大変だったはずである。この機体はVMFA-314が海兵隊で初めてF-4Bを受領した1961年から胴体所属で、冒頭で開設した通り海兵隊でのF-4Bの運用テストでAIM-7の発射試験にも用いられている。
↑ ベトナム戦争に駆り出され、最初のベースとなった南ベトナムのチュンライ空軍基地で活躍していた頃のマーキングで、黒いレーダーコーンを付けていた機体。ビューアルナンバー下4桁が、尾翼に書かれているのも変わっている。増装タンクも初期のもので、この頃は空対空ミサイルは、AIM-9Bを使っていた。F-4B/VW-7/Bu.No.150648。この機体は後にVMFA-323に移管され、AAAで損傷を受けながらもダナン基地で活躍している。
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↑ 1969年時のVMFA-314の司令官指定機VW-00。この時の司令官機は同隊の背中に司令官名グォリー大佐名「Col. Norm Gourley」が記入され、彼のニックネームであった「ANIMAL」も書かれていた。この司令官機に名前が書かれていたのはこの部隊だけではないが、VMFA-314
のファントムの特徴でもあった。司令官機にはこの機体の前任か後任かは不明ながら、同じF-4B/VW-00/Bu.No.152237も確認された。
↑ 同じくWhite Bearさんが、厚木基地R/W19で撮影されたVMFA-314のF-4B/VW-3/Bu.No.153006。この機体は、ベトナム戦での戦歴が多いのか,同隊のF-4Bの中では有名な機体で、プラモ系のデカールも各種出ている。この後海軍のVF-154に移動して、USSレンジャーから1967年11月から1968年5月迄の間、北ベトナム爆撃に従事していたようである。
F-4B
↑ 同じくベトナム戦で使われたVMFA-314のF-4Bで、この機体は1969年4月26日チュンライから飛び立ったが、北ベトナムで撃墜されているが、撃墜の原因は不明である。パイロットのガーゼック大尉とWSOのマッセイ大尉は死亡したものと思われる。F-4B/VW-7/Bu.No.148427