(1942~1992)

F-4B/N
”Gray Ghost”のニックネームを持つこの部隊は、1942年10月にMCAS Cherrypointで誕生している。F-4Bを受領した1962年からVMF-531よりVMFA-531に部隊ナンバーを変更しベトナム戦に真っ先に送られた飛行隊として有名である。VMFA-531のF-4N時代は、海兵隊エルトロ航空基地(MCAS El Toro)のWS/EC/VWの日本に来ないトリオ飛行隊としてマニアは撮影を諦めていたが、WS/ECの2飛行隊は、1979年USSコーラルシーのCVW-14の傘下に入り 1980年のWESTPACの際沖縄の嘉手納基地に大挙して飛来しマニアを狂喜させた。その頃のVMFA-531のNK-100は、これまた美しいCAG機塗装であった。(2002/6 記)

この航海は、1979年5月から準備が開始され 11月に出港、翌1980年6月までの長い航海となった。VMFA-531と323は、USSコーラルシー配属のCVW-14の傘下に入って行われた。VMFA-531は、最も経験豊かなメンバーが徴集され 指揮をとったのは、ベトナム戦争を通じ400回以上の空母ランディングと360回もの実戦参加をしていたベテランのGary R "Jinx"Braun 中佐だった。用意されたのは、12機のF-4Nと35名の士官、217名の兵員である。

1978年頃から交流の続いていた沖縄の友人から送っていただいた貴重なショットの数々で、特にこの時嘉手納に飛来したVMFA-531のF-4Nは、当HPで是非皆さんにご紹介したい写真だった。

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Wings
VMFA-531は、ベトナム戦争で海兵隊の2個大隊が 1965年4月にダナンに上陸した時点から 共に海兵隊飛行隊として始めてダナン飛行場に移動し近接支援のため作戦を開始している。この海兵隊のダナン上陸以降 ベトナム戦がエスカレートしたと言われている。初めてベトナムに展開したVMFA-531の面々には、当初は居住設備もなく また近接支援に必要な爆弾なども不足気味で 相当劣悪な条件下での任務を余儀なくされたようだ。 
↑上は、VMFA-531がF-4Bを所有していた時代のマーキング。これ以外のパターンも存在したが、骸骨と電光と531と並んだ星はほぼ共通したものだった。
↑F-4N時代の代表的なマーキング、一度で良いからこれが撮りたかった・・右はコーラルシーに搭載され1980年にWest-Pacに参加した際のVMFA-531(NK-200)の塗装である。このお姿のままで嘉手納にも飛来した。
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