↑ 2009年3月 嘉手納基地から離陸し空母へ向かうVRC-30 Det-4の2機のC-2A.尾翼のテールレターは、”NG”に変えられている。この時付近の海域には、原子力空母ジョン・ステニスが航行しており、CVW-9を伴っていた。
Det-5に流行している日章旗を模ったテールマーキング、米軍は、旭日旗がとってもお気に入りである。実は、旭日旗のデザインは考案された時より、世界的に評価の高いデザインであったのだ。
↑ C-2Aの胴体後部には、空母コンステレーションの艦名と”CVW-U”の文字。
(2007)
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(2010)
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地味な役割ではあるが、艦隊に対する物流支援として無くてはならない存在である。VRC-30は、1943年6月VR-5という名称でシアトルの海軍基地に生まれ、海軍全般の輸送任務を負っていた。創設当初、ダグラスR-4Dスカイトレイン、R-5Dスカイマスターなど輸送機としての往年の名機が配備されていたようだ。1948年以降、アメリカ太平洋艦隊の艦隊物流支援航空団の指揮下に入り、艦隊への物資輸送を主任務とするようになった。1957年にVR-5は解散し、VR-21と名前を変えた。1958年にノースアイランドに分遣隊を置いたVR-21は、空母ヨークタウン(CV-10)で直接空母に荷物や人員を運ぶCOD任務を開始した。”COD”と言うのは、Carrier
Onboard Dekivery の略である。1966年VR-211の厚木分遣隊が「VRC-30」となり、アラメダ分遣隊が「VR-30」となって分割された。かつて我々厚木のマニアの身近にいたVRC-50もこうして生まれた兄弟飛行隊であったのだ。VR-30の方はアポロ計画での海上でのユニット回収、要人輸送業務など幅広い業務を行い、それに伴い機材もCT-39セイバーライナーア等を導入。1973年には海軍として初めて C-9B4機を配備した。海軍初の女性パイロット バーバラ・アレン中尉はこの部隊に配属された。VRC-30と言う今の形になったのは、1978年でVR-30の解体と同時にC-2Aグレイハウンドを受領して、VRC-30に名称変更となったものである。(2021/5 記)
↑ 2023年3月21日嘉手納基地R/W23 Right に降り立つVRC-30のC-2A/Bu.No.162141
↑ ↓ 2023年3月下旬 嘉手納基地に飛来していたVRC-30の2機のC-2A。Modex36/37であるが、フィリピン沖又は南シナ海に展開中の原子力空母ニミッツからの飛来で、1週間近く嘉手納で機体調整等をしていた。↑のC-2A/Modex36には、ビューアルナンバーの横に小さく「USS
NIMITZ CVN-68」下段に「CVW17」と書かれている。
1997年7月 横須賀に入港したUSSコンステレーションの甲板上のC-2A ”NE-32”
↑ 2023年4月15日 岩国基地に展示されたDet-5のC-2A Bu.No.162176
Apr.2007
Apr.2010
2017年3月17日 久々に厚木で撮影したC-2A、CVW-5などのインシグニアを書き込んで 今まで以上に派手な井出達である。旭日旗が半分黒で隠れているが、サンダウナーではないよね・・・怒
↑ 2023年3月20日嘉手納基地R/W23 leftで離陸に向かうVRC-30のC-2A/Bu.No.162178