Wings
ハンビーは、このようにヘリのホバリング訓練や武装の取り付け、取り外しなど普段他の基地では見ることが少ない風景を見せてくれた。この頃のHML-367は、テールレター無しであり 少し寂しいが、パイロットのヘルメットなどよく見ると興味深いマーキングもあり 結構楽しめた。
HMLA-367
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初めて沖縄に行った1977年の夏、我々はウキウキしながら那覇市内からバスに乗って嘉手納基地に向かっていた。まだ見たこともない嘉手納基地を心に描きながら、今か今かと左右の風景を眺めていると、突然左手に海兵隊航空部隊の基地が国道にすぐ脇に現れた。何と国道と平行にエプロンには、AH-1J、UH-1Nが列線をなしている。なんだこれは、200mmいや手前に並んでいるのは50mmの標準レンズでも撮れそうじゃない・・その日は流石にそこで途中下車することはしなかったものの、嘉手納に通う合間に1〜2度は顔を出してみようと考えた。そこはハンビー飛行場と呼ばれ、普天間基地の予備的な基地であった。
 翌年にも嘉手納基地を訪問した私、曇り空のある日、バスを途中下車して一人でハンビーに撮影に向かった。きっと1日粘れば良いカットが得られるだろうと目論み、エプロンを覗き込める土手でぼっとしていると、嘉手納のほうへ見慣れぬ機体が降りていくのが見えた。・・・・・・!!!・・RB-57!!バーモント州空軍のやつだ・・何という皮肉か・・ハンビーにこだわってど珍機を取り逃がすとは。世の中いつもこう言うモノである。
 気持ちを入れ替えてハンビーで大好きなAH-1J、UH-1Nを撮り、「このカットは、今ここでしか撮れないんだ!!」と自分を納得させて嘉手納基地に移動した。この時、ハンビーに常駐していた部隊がHMLA-367であった。
HML-367は、1943年に東海岸バージニア州クゥアンチコで偵察飛行隊として設立された。太平洋戦争では海兵隊の偵察任務を沖縄戦などで行っており 沖縄とは元々縁がある飛行隊のようだ。設立当初VMO-3と言う部隊名を持っていたようだが、1969年3月にHML-367と名称変更し、同時にUH-1ヘリの受領を受け、武装してベトナム戦を戦っている。UH-1以前は何を使っていたかは不明であるが、ベトナムには1966年ごろから派遣されていたようで1971年に沖縄に移動するまで長い間、ベトナム戦を戦っていた歴戦の部隊である。この間、1969年にはAH-1Gコブラを24機受領している。
ハンビー基地のゲートに掲げられたHML-367のプレート。コマンダーは、F.C.ルイス中佐となっていた。
ベトナムから沖縄に戻ったHML-367は再びUH-1Eに機種交換されたが、1976年1月にUH-1の最新型UH-1Nを受け取り さらに1977年上記の写真にもあるとおり77名の士官と6機のAH-1JがHML-367に加わりより大きな部隊になった。在日中はMAG-36の傘下に所属したが その後本国のキャンプ ペンデルトンに戻り 他の飛行隊とのローテーションで最近も沖縄普天間基地によく訪れる部隊の1つである。
犯人は、真ん中のひげの男である。私が撮影をしている中、クルーたちはエプロンのごみ掃除のため、一列で画面左手から歩き始めた。その中で「この髭」君一人が私に気づき、盛んに「自分を撮れと」とサインを送ってくる。こちらも「じゃ!撮ってあげよう」なんてサインを返していたら、全員がこちらに注意を向けポーズの嵐となった。「おいおい・・エプロンの方の掃除はどうなっちゃたの??」もうそんなことそっちのけである。結局 ここでエプロンの掃除はバラバラ解散となってしまった。やっぱ、犯人は髭である!
RB-57のショックから冷めやらぬ私は、この髭とRB-57を天秤にかけていた。あ〜ぁ・・・・・