Wings
1967年に太平洋方面でA-7Aコルセア攻撃機を受領した2つ目の飛行隊であり、A-7Aを早く実戦化してベトナム戦争に投入したかった海軍は、この時期多くのA-7攻撃機の中隊を創設した。VA-97の尾翼を飾る青いシェブロンはA-7に良く似合うデザインでシンプルながら人気あった。但し後継機となったFA-18には馴染まなかったのか、後にマーキングを全面的に変更している。
私はこの部隊のA-7Eとは縁がなく、殆どまともに撮った事が無い。いつもタイミングを逃して、詰らぬ写真しかないので友人から提供頂いた写真でページを纏めることとさせて頂く。
1978年頃のVA-97のCAG機 NK-300.シェブロンのラダーにかかる部分を航空団各飛行隊カラーに塗り分けている。下の写真でも判る通り、この頃嘉手納に飛来した記録が残っている。丁度4月から10月までの間USSエンタープライズに搭載され、CVW-14の傘下でWESTPAC(the deployment of Western Pacific) 西太平洋展開配備が行われた。
1975年時のVa-97。A-7Eのフォルム。この頃はベトナムから米軍は撤退していたが、北ベトナムの進行でサイゴン陥落が迫る中、南ベトナム関係者の国外退出を支援するフリークエンド作戦で航空支援に赴いている。
VA-97がA-7Aを受領して間もない頃のマーキング。尾翼のシェブロンは胴体にかかっておらず、部隊インシグニアが書き込まれていた。この機体 1968年に厚木に飛来している。恐らくUSSコンステレーションでの1回目のWESTPACでベトナムに派遣された前後であると考えられる。イラストはMk-82爆弾24発を付けた爆装スタイルであるが、13000ポンドを超えるこの重量でもマッハ1.0を出すことができた。
恐らくVA-97ハイビジマーキングの最後を飾る姿。一つ上のイラストとの違いは直ぐにお分かりになろう。引退が近いUSSミッドウェイ級3番艦USSコーラルシーで、1981年から1982年春までの間WESTPACがあり,多くの機体が嘉手納に飛来した。この機体は嘉手納に飛来した156872の前のCAG機で1980年1月頃のものとされる。
1976年の冬のある日の事。既に太陽が傾きかけ帰宅の途に就こうとした時である。尾翼の青いA-7Eが夕日を浴びながらR/W01に降り立った。お墓で撮影していた私達は、彼がランウェエンドまで転がって来てくれることを望んだが、VA-97所属のNK-302、NK-312の2機は、途中でタキシーウェイに入り小さな証拠写真しか撮れなかった。初めて見るVA-97のA-7Eに痛く感激した私と友人は、翌日も厚木基地に裏手のゴルフ場近くまで歩いて駐機している彼らの姿を追った。
厚木での悔しい思いを横田の友人に伝えたところ、同じく1976年に横田に飛来した2機のVA-97の写真を焼いてくれた。朝のR/W36
で光線状態が悪い無い中でも、なかなか素晴らしい出来の写真であった。まだ撮影技術が未熟だった自分との技術差を感じたものである。 
渡辺 明さんが1975年NASリームアで撮影されたVA-97のA-7E。この頃のリムーアは”A-7EコルセアⅡの巣”であり、太平洋方面のCVWに所属するA-7Eは殆ど此処を拠点として運用されていた。よって美しいマーキングの機体でエプロンは埋め尽くされていたのである。羨ましい・・・。
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