VF-32
AC-105
アメリカ海軍空母航空団に所属する戦闘機中隊の多くが、F-4ファントム戦闘機に更新を終えてベトナム戦を戦っていた頃、トンキン湾事件が発生した1964年当時、まだ古いF-8Dクルセーダーを使用していた珍しい部隊があった。それがVF-32で、既に空母戦闘機群の主力になっていたF-4ファントムを受け取ったのは1965年になってからであった。 ベトナム戦争には、F-4Bファントムに更新した後の1968年にUSSフランクリン・ルーズベルトに搭載されて参戦、1967年に帰還するまでに戦果としての撃墜記録は無い、逆に1機のF-4Bを事故で失っている。余談であるが、確か厚木基地にも過去この飛行隊は”AB”のレターを付けたF-4Bで何機かが飛来しているはずである。F-4Bファントムをもらうのは遅かったが、F-14を受領したのは大西洋方面で一番早く、その後長い間VF-14トップハッターズとペアを組んでいたので、F-14Aを受領後最初に付けた”AB”のレターが印象に強い。1985年からCVW-3に所属し一時CVW-17に所属するが、再びCVW-3に戻り”AC"のレターを付けている。

 1989年、リビヤによるシドラ湾領海宣言で緊張した地中海において、哨戒中にリビア空軍のMig-23の攻撃を受け、即座に反撃に転じスパローミサイルで少なくとも1機を撃墜している。Mig-23の撃墜記録は、この飛行隊の数少ない戦勝記録の一つであるが戦歴は多く、その後の湾岸戦争、イラクフリーダム作戦などにも参加した歴戦の部隊でもある。
タキシーするVF-32のAC-104とAC-107の機首には、イラクフリーダムの出撃マーキングが書かれている。マーキングが誘導爆弾であることから これらの任務がほとんど対地攻撃を主としていたことが分かる。AC-107の機首にはスペースシャトル コロンビアの事故を痛むモニュメントも書き込まれていた。
VF-32の創設は1945年2月なので、太平洋戦争が終了する間際に生まれた飛行隊というわけだ。VF-32と言う部隊ナンバーになったのは創設後3年の1948年、創設5年後の1950年には朝鮮戦争に参加している。1957年に海軍航空隊の中で、初めてF-8U-1クルーセーダー戦闘機を受領した飛行隊で、次のF-4Bは1965年から受領している。1974年からは当時最新鋭のF-14Aへ更新。この年彼らは10年間無事故達成、17000時間の無事故記録を残している。1982年VF-32のF-14Aは長らくペアを組んでいたVF-14と別れ、その後F-14の空母1飛行隊運用への変更の際、部隊のF-14はTARPSの運用能力を得たが、このデジタルカメラ・システムは、後にリビヤ危機やその後の作戦で大いに活躍している。1996年頃からF-14Bへの転換を図った。 
Wings
1974年にF-4BからF-14Aに転換したVF-32は、尾翼をイエローを基調にホワイトのラインを入れた非常に目立つ塗装でデビューした。この塗装は数年でロービジ塗装に変更され消えたが、その後はロービジマーキングで記憶にも薄い。現在は、部隊名の通りに剣を尾翼に入れてなかなか様になっている。
 ↓ 写真のModex132は、VF-32に因んで付けられていた機体。
AC-114
AC-101
AC-104&107
何度オシアナに言っても中々出会わなかったのが、このマーキングの機体である。1度オシアナのエプロンでこの機体の離陸を見逃してしまい、次に目にしたときはハンガーの中。でも 綺麗なマーキングですよね〜。ベースはブラックではなく ダークブルーであった。翼の内側には、現在の所属であるCVW-3のインシグニアが書かれていた。
2003年のイラク戦争に参加した6隻の空母の内、VF-32はUSSハリー・トルーマンは地中海方面からイラク攻撃を敢行した。空母は2003年5月にノーフォークに帰還したが、この作戦時にVF-32所属のF-14の機首に書かれたマーキングが”Deus Et Patria”の文字と国旗を持った剣士が倒した敵の首に剣をあてている図案である。航空専門誌の文献によるとフランス語で「神と国家」を意味するらしいが、何故これが書かれたかは不明。
AC-104
AC-107
VF-32's in Hanger
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(2005)
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