嘉手納を良く訪れる友人曰く「ハリアーは、最近ランディングが高くて絵にならない、反って離陸のほうが低いぐらいだ」・・うむ 昔からハリアー君のランディングにはよく泣かされたが、だからといって嘉手納では離陸が撮り易いとも言えない。何せ音が小さいので、離陸の際木立の向こうから飛び出てくるハリヤーに一瞬のタイミングを合せるのが難しかった。絵になったのはこのWE-02だけだった。トホホ・・・
VMA-214

Baa,Baa,Black Sheepは、子供の頃歌った「きらきら星よ・・」の原曲と思われ 良く似ている。黒い羊さん、あんたも羊毛持っているの?と聞く変な歌詞であるが、黒羊は、「厄介者」と言う意味もあるそうだから 皮肉たっぷりに聞いているのだという解釈である。VMA-214の初代隊長のボイントンも酒癖の悪い「問題児」で 陸軍航空隊の志願兵としてフライングタイガース飛行隊で活躍していたが、上司を殴ったり 気性も荒く、一度は退役してガスステーションのサービス員などやっていた。太平洋戦争勃発後、自ら海兵隊に売り込み、厄介者部隊「黒羊隊」を編成して南太平洋で暴れまわった。彼は、28機の撃墜記録を打ち立てた後 撃墜されて太平洋へ落下傘降下・・・なんと 日本の潜水艦に助けられ、捕虜として戦後まで囚われの身だった。元来 酒飲みだったボニントン 日本ですっかり日本酒のファンとなり熱燗を付けるのが大好きだったとか・・・彼の名前は、今もAV-8Bショーバードのボディを飾る。

AV-8B
Wings
ハリアーU・プラス所謂レーダーハリアーになって以降 2005年11月にVMA-214は、ハリアーの部隊としては初めて強襲揚陸艦でJDAMの運用した。テストは強襲揚陸艦ペリリューに於いて、これを成功させ天候に関係なくポイント爆撃が可能になった。(2002年 横田)
2007年12月の沖縄でこいつが撮影できたのが 最大の収穫と言えよう。A-4M時代の尾翼を彷彿させるブラック基調のマーキングになっていようとは、夢にも想像していなかった。事前情報が何も無い中 滞在最後の2007年12月11日に飛んでくれた。A-4Mの時代に尾翼ラダーを黒く塗り星をちりばめたマーキングは、尾翼全体に広がり 燃料タンクも黒で部隊名が入っている。機種には、部隊インシグニアをカラーで書き込んでいて これまたセンスの良いマーキングと思う。黒羊の頭が無いが これだけドレスアップすると 書き込む場所が無い、反ってくどくなってしまうかもしれない。

↑ 20112代目ブラックテール機、文字は、センチュリー文字で統一され 機首にインシグニアと星の入った黒いラインが入った。VMA-214歴代のハリアーで最も艶やかで 部隊創設時の初代隊長で映画にもなったボイントン少佐の名前が 機首に入っている。彼は、名誉勲章受章者で英雄であるが、愛称が「PAPPY」で部下からは親しまれた好人物だったらしい。AV-8B Bu.No.165421

WE-20は、シリアル”163194” WE-19は、とっても薄いので読みずらいが”163193”に読める。海兵隊は、1985年と1986年にそれぞれ32機のAV-8Bを発注しているが 上の2機は、86年度予算発注分で 通常型のハリアーB。ナイトアタック・ハリアーは、1989年度予算で発注された24機”163853”からなので 古い機体を受領して運営していた時期もあったのだ。そう言えばナイトアタック・ハリアーの特徴である機首のこぶがないですね。 
浜松でVMA-214のレーダーハリアーを撮ったのが2002年(↑)、私が某国転勤となった年である。あれから5年の年月がたった。軍用機撮影においては正に失われた5年か・・・2007年の嘉手納で WEのレターをつけて飛んでくれたAV-8Bは、嘉手納での過去の思い出を蘇らせてくれた。ここで再びあえるとは思ってもいなかった。

Hamamatsu AB(2002)

2007/12 Kadena AB. Okinawa

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(2002)
(1992)

 ↑ 1997年当時のVMA-214の標準塗装で 機首に黒い羊がモチーフされている。この飛行隊は、ハリアー飛行隊としては機種転換が遅く、1989年にAV-8Bを受領しているため、グリーン系迷彩の期間がほとんどなかったと思われ 写真が少ない。この黒羊のデザインは、その後レーダーハリアー受領時に再び機首に再現されている。 Bu.No.不明

海兵隊最初のナイトアタック・ハリアーになったのがVMA-214だった。A-4Mスカイホークの時代、少しの撮影チャンスに恵まれたこの部隊もハリアーになってから ほとんどお目に掛かることなく レーダー・ハリアーが加わるまでの間、写真がほとんどない。たまたま 渡辺 明さんがアメリカで撮影されたスライドを送っていただいたのでご覧いただきましょう。マリングレー迷彩になった後の機体ですが WE-19.20は、アリゾナ州ルーク空軍基地での撮影だ。特にWE-20は、ほとんど所属部隊がわからないほど 徹底したロービジで僅かに機首のインシグニアと薄いテールレターだけが 判別できるポイントだ。
Yokota AB(2002)

↑ 2009年にブラックテールで出現したVMA-214のショーバード、インテークの注意書きからパイロットネームまで 非常に変わった字体で書かれ イラストで再現するのに苦労した。翼下の燃料タンクを黒く塗り込めて「Black sheep」と書き込んで機体とセットで運用されるので交換がきかず 整備士は大変であっただろう。VMA-214は、この年アフガニスタン南部での航空支援業務、海賊対応などで活躍している。 Bu.No.165421

VMA-214は、1989年6月にAV-8Bに機種交換し 海兵隊で最初のナイトアタック・ハリアーSqになった。しかし 私はナイトアタックAV-8Bを殆どあまり目にすることなく 2002年にはAPG-65レーダーを付けた鼻の長いレーダー・ハリアーとなって日本を訪れた。下は2002年横田OHでのAV-8Bであるが、レターはET-52、機首のBlack-Sheepは、かなり形の崩れた黒羊君である(目が赤い)。強襲揚陸艦エセックス級1番艦 USS エセックスにHMM-262(RAIN)に分遣隊として搭載されていたもので”ET”のテールレター