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右のInsingnia(部隊章)をご覧いただくとガラガラ蛇とF4-Uコルセアのシルエットが描かれているのがお判りと思うが、VMA-214と同様
InsingniaにF-4Uを描いているのは、大概太平洋戦争中にF4-Uで大きな戦歴を持っている部隊である。VMFA-323も1943年にチェリーポイントで生まれ 太平洋戦争では沖縄戦をはじめ終戦までに自軍の損失無しに124機の日本軍機を撃墜し 12人のエースを輩出している。”デス ラトラーズ”とは、「死のガラガラ音」という意味で もちろんガラガラ蛇の威嚇音のことを指している。機体に描かれたダイヤモンドの帯は ガラガラ蛇ダイヤモンドバックスの紋様を模ったもの。F-4N時代は、日本で見ることの出来ないスコードロン御三家の1つであったが、一度1980年にCVW-14に所属して空母USSコーラルシーでWESTPACの際に嘉手納基地に数機が飛来している。
F-4時代は、私は全く縁が無かった飛行隊だったが、VMFA-323がFA-18Aになってからは岩国にも配備されマニアの前に姿を現してくれたので、チャンスが生まれた。また1999年のUSSコンステレーション横須賀寄航の際にも艦上での撮影機会を得ることが出来た。(2003年12月 記)


太平洋戦争から朝鮮戦争、そしてベトナム戦争まで数多くの戦歴を残しているVMFA-323であるが、当ページはF-4B時代にベトナム戦争で活躍した頃の同隊のマーキングや写真をご紹介したい。VMFA-323は、1965年9月10日から13日目の期間に20機程のF-4Bを受領し、F-8からの転換を終えている。F-4Bの配備を完了して翌月の10月25日MCASチェリーポイントを出発して岩国基地に展開している。岩国基地で数日間の休暇と物資の手配を終え、向かう先は南ベトナムだった。12月1日南ベトナム(当時のベトナム共和国)のダナン空軍基地に展開して、翌2日から直ぐに作戦に従事、12月7日には早速F-4B
1機が撃墜され、VMFA-323の副隊長ジョン・H・ダン少佐とRIOのジョン・W・フレデリック准尉は北ベトナムの捕虜となっている。少佐は7年間収容所を行き抜き生還したが、准尉は収容所で死亡している。VMFA-323は、到着した1965年12月の1か月だけで407回の出撃と520時間の飛行時間を記録するなど、激しい戦い突入した。この時期の同隊のF-4Bにはとぐろを巻いたガラガラヘビの絵柄は掛かれておらず、1967年に再びベトナムに派遣され、チュンライ空軍機で活動した期間に書かれ始めたようである。
↑ 同じくチュンライで活動していた時期のVMFA-323のF-4B/WS-12でインテークに出撃マークと象のシルエットが書かれているが、これは物資輸送ルートで牛車や象を使った荷車を破壊したことを示すものである。同隊の1967年の敵破壊記録の中にも象の荷車3台等の記録が残っている。帯のダイヤモンドの数がWS-4とはことなっている。F-4B/WS-12/Bu.No.150476 この機体は1983年5月にテキサス州でVF-202の訓練中に墜落して失われた。
↑ チュンライ空軍機を拠点に活動していた1967年当時のF-4B/WS-4でレドームをスコードロンカラーのブラウン(ガラガラ蛇の皮の色)に塗り込めた有名なマーキング、ジェットインテークには多くの出撃マークが書かれている。F-4B/Bu.No.151463
↑ White Bearさんが学生時代夏休みに初めて行った岩国基地で1機だけ撮影できたVMFA-323のF-4B/WS-1である。当時はフィルム時代、私も同じであったが、着陸でもタキシングでも1機 1枚のフィルムで撮影するのが常道であった。この時"VK"のA-4スカイホークも岩国基地に飛来していたそうである。このF-4B/Bu.No.152275は、VMFA-115にも所属していたようである。
↑ 1968年再び同隊が、ダナン空軍基地に展開した時のマーキングで、とぐろを巻いたガラガラヘビのマークが胴体後方に移動している。1968年の1月に始まったベトコンによるテト攻勢では空軍基地が狙われ、同隊の人員にも死者が出るなど被害が出ている。横にいたVMFA-314では2機のF-4Bが被害を受けたが、同隊は機材の被害は少なかったようだ。F-4B/WS-10/Bu.No.151459
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