↑ 1986年9月 厚木基地R/W-01でフニュ師匠の撮影したVRC-50のC-2A/RG-421。
C-2A/RG-425/Bu.No.152789
Page-2
上写真は、1978年3月 当時の嘉手納基地海軍エリアからタキシングしてR/W23に離陸に向かうC-2A/Bu.No.152789
(1966~1995)
C-2A/RG-421/Bu.No.162147
C-2A/RG-427/Bu.No.152792
↑ 1984年厚木基地航空祭の際にエプロンを滑走するVRC-50のC-2A。後ろのカーゴドアが開いており、乗員が腰かけているのが判る。C-1AにはないこのカーゴドアがC-2Aの輸送能力を高めていた。
C-2A/RG-423/Bu.No.152790
E-2Aから改造されたC-2Aグレイハンウンドは、E-2との共用部分が多いが 肝心な胴体だけは完全な新設計である。貨物を運ぶことを考慮して 胴体は大きく膨らまされローディング式カーゴドアが尾部に設けられた。1965年に誕生した老兵であるが その後に生まれたUS-3Aがとっくに引退した今も寿命延長策により元気に活躍している。
↑ 厚木基地R/W-19へ着陸するVRC-50のC-2A/Bu.No.152792。
↑ 厚木基地を離陸の為、R/W-19へタキシーするVRC-50のC-2A/Bu.No.152792。
C-2A
C-2A/RG-426/Bu.No.152795
click here
C-2A/RG-427/Bu.No.162173
↑ 1993年撮影 C-2A/Modex RG-427は機体が更新され、ビューアルナンバーは、16万代になっている。陸上基地から 空母までの輸送は着艦能力のあるC-2Aが担当する。E-2ホークアイと機体形状が似ているが 胴体は貨物と人員を運べるよう広く設計され 後部扉が倒れるように開く。空母への取材班輸送にも使われるので、マスコミ関係者はこの機体でフックランディングした人もいるだろう。
(1991)
↑ 1993年10月厚木基地R/W-01へ着陸するVRC-50のC-2A/Bu.No.162150。機体がビューアルナンバー6万代に更新されている。
↑ 厚木基地を離陸の為、R/W-19へタキシーするVRC-50のC-2A/Bu.No.155121。この機体1974年頃はModex-404や407を付けていた。
(1989)
(1993)
(1993)
C-2A/RG-425/Bu.No.152789
↑ 1990年5月 厚木基地R/W-19でフニュ師匠の撮影したVRC-50のC-2A/RG-424。
C-2A/RG-424/Bu.No.162150
C-2A/RG-425/Bu.No.152789
C-2A/RG-424/Bu.No.152757
C-2A/RG-427/Bu.No.152792
↑ 1984年に厚木基地R/W01で撮影したVRC-50のC-2A/RG-427。 尾翼の”RG”のレターも年を追うごとに変化したが 上のマーキングが 1982年頃からの新しいタイプだったと記憶する。機種の機番の書き方も異なっているのが分かると思うが こうした塗装の変化がマニアの触手をそそるのだ。
↑ 厚木基地R/W-01へ着陸するVRC-50のC-2A/Bu.No.152797。