↑ 1980年代に入ってから、VRC-50の機体は、統一された洒落たデザインのテールマークに変更された。C-2AやCT-39Eにまで施されたこのマーキングを見る事が出来た期間は長くは続かなかった。
C-1A"Trader" 輸送機は、対潜哨戒機S-2トラッカーの機体を輸送用に改造したもので、胴体下部が腹ボテのように膨らんでいるのは、搭載能力向上のためである。C-2Aのようなカーゴ扉は無いものの、1.6tの貨物を積める。
↑ 1978年には尾翼の星条旗は通常の物に戻されている。このC-130F/Bu.No.149805は、1960年代後期からVR-21に所属し”RZ”のテールレターを付けてよく飛来していたC-130Fである。
C-130Bをベースに格納庫内に出し入れ出来る燃料タンクを装備した海兵隊向けのC-130がF型であったが 海軍航空隊でも1960年に7機が導入され重宝された。有名なブルーエンジェルスの支援用輸送機”初代ファットアルバート”もC-130Fであった。
↑ 座席を人員輸送用に用意すれば、9名の人員の輸送能力があり、空母への人員移動には便利であった。
↑ 1965年にC-2Aが現れるまで空母への輸送の主力として生産され、87機が造られたとされる。
↑ 上2枚の写真は何れも1977年に厚木基地と横田基地におけるVRC-50/C-130Fのタキシングの模様であるが、尾翼の星条旗は1976年に施したアメリカ建国200周年の記念塗装を残している。