(1966〜1995)

↑ 1980年代に入ってから、VRC-50の機体は、統一された洒落たデザインのテールマークに変更された。C-2AやCT-39Eにまで施されたこのマーキングを見る事が出来た期間は長くは続かなかった。

C-1A

C-1A"Trader" 輸送機は、対潜哨戒機S-2トラッカーの機体を輸送用に改造したもので、胴体下部が腹ボテのように膨らんでいるのは、搭載能力向上のためである。C-2Aのようなカーゴ扉は無いものの、1.6tの貨物を積める。

海軍の兵站輸送全般を受け持つ部隊がVRC-50で 特にCVW-5の空母艦載機群を擁する厚木基地ではこの部隊の役割は大きく、いつ厚木に行ってもこの”RG”のレターをつけた各種の機体だけは撮れたものである。”Foo Dogs”つまり狛犬をこう呼ぶのかもしれないが、アジアで展開している部隊らしいインシグニアと部隊名であった。1995年に解散して今はVRC-30がこの任務を引き継いでいる。(2006年2月 記)

↑ 1978年には尾翼の星条旗は通常の物に戻されている。このC-130F/Bu.No.149805は、1960年代後期からVR-21に所属し”RZ”のテールレターを付けてよく飛来していたC-130Fである。

C-130Bをベースに格納庫内に出し入れ出来る燃料タンクを装備した海兵隊向けのC-130がF型であったが 海軍航空隊でも1960年に7機が導入され重宝された。有名なブルーエンジェルスの支援用輸送機”初代ファットアルバート”もC-130Fであった。

C-130F

↑ 座席を人員輸送用に用意すれば、9名の人員の輸送能力があり、空母への人員移動には便利であった。

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↑ 1965年にC-2Aが現れるまで空母への輸送の主力として生産され、87機が造られたとされる。

海軍機と言えば”グラマン!”・・・子供の頃、グラマンはアメリカの戦闘機の代名詞だった。C-1Aトレーダーもグラマン社の作品であるが 大戦中のワイルドキャットやヘルキャットの面影を色濃く残した機体に感じられる。もちろんS2F-1トラッカーを輸送用に改造した機体であるが、C-2Aグレーハウンド同様胴体に若干手を加えており、胴体部分がトラッカーよりが高さ有り、その分大きな貨物を積めるように工夫されている。C-2の機数不足からS2F-1よりずっと長く現役にいた機体で、1970年代後半まで空母にも1機積まれていた。
VRC-50

↑ 上2枚の写真は何れも1977年に厚木基地と横田基地におけるVRC-50/C-130Fのタキシングの模様であるが、尾翼の星条旗は1976年に施したアメリカ建国200周年の記念塗装を残している。